2015.10.30 格差社会

世代間格差!世代による意識のギャップが問題を複雑化している

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世代間格差が日本社会を崩壊させる? 「働かないオジサンは、なぜみな日経新聞を読むのか?」に潜む真実

実は、世代間の意識の格差こそが、「働かないオジサン問題」のおおもとにあり、世代間のコミュニケーション大きく妨げ始めています。

 

あなたは「働ないオジサンはなぜみな日経新聞を読むのか?」と疑問に思ったことはありませんか?

このことの裏には、世代の違いによる常識や意識の違いがあり、日本の将来を左右するようなとても根深い社会問題を含んでいるのです。

 

世代間の意識・常識の格差は、静かにそして着実に、日本社会のコミュニケーションを大きく妨げ、その傷口はどんどん広げています。

そして社会保障の負担や給付の違いなど、税金の分配・使い方に関する議論や意見調整に大きな影響を与え始めています。
それも、とても悪い、深刻な影響です。

 

もしあなたの会社のリーダーが今の時代についていけないなら、あなたの会社はこれから大丈夫でしょうか?

実は、リーダーが会社を食いものにしていて、自分が要職についている間だけ会社が持てば、あとは知らないと考えていたらどうでしょう?

サラリーマン社長は創業者ほど会社に愛着が無いのは当然です。

「会社が大きくてつぶせない!」という過去の常識は、今の社会では通じません。

リーマンブラザースがつぶれたように山一証券だってつぶれたし、東芝も今までのように安い金利で市場からお金を集めてくることができなくなると言われています。

 

また世代間格差の問題は、年金や医療費など社会保障のための税金の負担とその使われ方(給付)の問題そのものでもあります。

確かに政府の言うように、社会保障制度は決して破たんすることはありません。

なぜなら、税率をどんどん上げて給付をどんどん減らしていけばよいのですから・・・。

 

政治家は。選挙に影響するようなシビアな問題にできるだけかかわりたくありません。

役所は自分の責任を問われる可能性もあるので、過去の政策の失敗に触れたくはありません。

でも、今後、世代間の格差問題が増々ひどくなっていくのに、ほっておいて良いのでしょうか?

つけを払わされるのは、今働いている比較的若い世代の人たち、これから社会に出る人たち、そしてこれから生まれてくる人たちです。

 

このような大きな問題、そのまま考えても抽象的になってしまうので、まずは、世代間の意識の差がわかりやすい「働かないオジサン」問題を例にとります。

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若者との世代間の意識格差が大きい「やる気のないオジサン」がまだこれからも溜まっていく。

ある程度の年齢の上司でもちゃんと時代に追いつくために常に努力をしている人なら、この話の対象にはなりません。

しかし、多くのオジサンは、「新しいことを学んで・吸収する」やる気も気力もないのが現実のようです。

確かに歳をとると新しいことを習得するには大きな努力が必要なことも事実です。

しかし、やるべきことをしないのを正当化しようとするからさらに面倒くさいことになるのです。

 

「働かないオジサン」のキーワードで検索をかけると、このことがすでに大きな社会問題になっていることがよくわかります。

そして今の社会の変化に落ちこぼれた。やる気のないオジサン達が日本の社会にどんどん溜まって、自分たちの既得権ばかりを主張し始めます。

 

あなたの会社は、上司は大丈夫ですか??

 

本人が「認めたくない」からなおさら聞きにくい。これも世代間の意識の格差を拡大する

「働かないオジサンはなぜみな日経新聞を読むのか?」をあなた自身で解明することは、実は大きな困難と危険が伴います。

無邪気に「なんで働かないですかぁ~」とか、「なぜ新聞なんか読むんですかぁ~」と聞くことができれば問題はありませんが、聞かれた多くのオジサンはかなり怒るはずです。

その人に人事権などがあるとずっとイジメられることになります。

このような世代間格差の問題について、解決策はとっても難しいですが、少しでも理解を進めるために 独断と偏見にもとづいてこれから説明していきます。

 

「働かないオジサンはなぜみな日経新聞を読むのか?」 を考えるにあたっては2つの大きな要素に分けて考えることが必要です。

 

世代間で意識の格差?「働かない」のは当然か?それとも・・?

働くことに対する、世代間の意識の格差を考えるにあたって、まず第一に注目すべきことは、そもそも「会社に働かないオジサンがいること」についてです。

もしあなたが変だと思うなら、あなたはある世代より若く、不遇な時代に育ち、不況・低成長・衰退しか知らいない世代のはずです。

 

逆にある世代以上のサラリーマンは「会社に働ない上司がいる」のは当然です。

自分もその地位になった今、「若いとき働いた既得権であり、当たり前のことをしている」という意識があるようです。

 

高度経済成長からバブル期までは、年功序列・終身雇用はサラリーマンの錦の御旗(今風に言えば当然の権利)でした。

「会社は家族」であって良くも悪くも縁を切ることはできない、「尽くしもする」が、その代わり「会社に甘えもする」というものです。

経費で飲み食いすることに、まったく抵抗がないのもこの世代です。

 

もしかしたら、江戸時代の藩や「お家」の考え方を引きずっているのかもしれません。

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「働かなくてもよい」という既得権意識を醸成した過去の社会状況

昔は、会社はどんどん大きくなり、新入社員は毎年どんどん入ってきました。

会社は「半永久に成長してていく」といことを、高度成長期のサラリーマンは全く疑っていません。

そして今でもその幻想を持っています。

 

儲かっていても、本社の組織はピラミット構造で出世競争は激しく、ポストは減ってくる。しかし関連会社には出向できる。

重役出勤、接待ゴルフは日常と考える世代にとっては「会社に働かない上司がいる」のは当たり前で、いつかは自分もそうなれると思って、それを楽しみにサラリーマン人生を送ってきたのです。

それに、自分が働いては、若いもののやることがなくなってしまう。

 

だから、時代が変わってしまったのに「働かない」ことには全く疑問を持たないのです。

むしろ接待ゴルフがなくなった自分の不幸を嘆いています。

 

成長し続けることが前提になっているシステムが、すでに機能しないことを認めたくないのかもしれません。

あるいは若い人が頑張らないから、自分がひどい目にあっていると思っている可能性もあります。

「自分は歳なのであとは若い人が頑張って」という上司はいませんか?

その言葉には、そんな意味が込められているような気がします。

 

成長社会の終焉を認めたくないオジサンたちとデフレの時代に育った若者、全く価値観のことなる働き手が一緒に働いているのです。

失われた20年で日本社会は既にかわってしまったのです。

 

バブル崩壊以降、失われた20年と言われる景気の低迷で、多くの会社は収益が落ちて余剰な人員を抱える余力は年々衰えてきています。

リストラを行って社内に利益を保留していても、将来の不安で社員の給料を増やそうとする経営者はほとんどいません。

給料を下げるのは大変なので、それくらいなら上げない方がましなのです。

 

一方、サラリーマンも、いつ会社がつぶれるかわからないし、リストラで正規雇用から外れてしまうと賃金が半分の非正規雇用になってしまうのが今の世の中です。

年功序列というよりは、次のボーナスはちゃんと出るのか?

終身雇用というよりは、リストラされないために成果をださねばならず、経費削減で会社で残業もできないので家に帰って仕事する毎日です。

 

この停滞の時代を肌で感じて働いていれば、当然「給料は労働の対価」「働かなくては自分の席がなくなる」という真っ当な意識が芽生えます。

またデフレの中で生活してきたので、フリーランチは許されず、今あるものをみんなで分け合うのが当たり前という感覚が強くあります。

そのため、「働かないオジサン」世代の行動が全く理解できないのでしょう。

 

「なぜ上司である自分が働かなければならないのか?」と不思議に思う世代と「高い給料をもらっているオジサンがなぜ働ないのか?」と思う世代の間の意識の差は広がり、不幸な食い違いが生じてしまうのです。

 

でも、もし今働かないオジサンがたくさんいる会社に勤められているならば、それは幸せのなことです。それだけ会社に体力があるということです。
将来はわかりませんが・・・

親方日の丸のお役所や外郭団体、行政指導が強く新規参入が阻まれている既得権の産業では、まだまだ「働かないオジサン」は多いようです。

 

ちなみに、同一労働同一賃金が当たり前でない国は、先進国では日本と実質独裁国家のアジアの数か国だけではないでしょうか?

木陰

 

新聞は唯一情報収集源?ここでも世代間で大きな格差が

世代間の意識の格差や情報収集の考え方・情報を集めるツールの違いによって、「なぜみんな日経新聞を読むのか?」についても疑問に思うかどうかが分かれてきます。

 

インターネットが発達する以前は、情報(今時こういう使い方はしませんが)と言えば新聞やTVしかありせんでした。

毎朝、各紙の関連記事のスクラップ(新聞記事をハサミで切り抜き、台紙にノリで張って整理すること)を作成し、昼までに重役に届ける部署というのあったと噂で聞いたこともあります。

 

そのため昔は、新聞やTVは、情報を一手に操る神のような存在でした。

それ以外は、専門的な書籍かインタビュー(これも雑誌の記事あるいは自分でヒアリング)に頼るしかありませんでした。

 

「マスコミ」は情報神、 「みんなが欲しいもの」をあがめる宗教を信じている世代が今も日本の社会を動かしていた

そのためマスメディアは、多くの人の心を操ることができました。

例えば、「いつかはクラウン」とトヨタが宣伝すれば、多くのサラリーマンは昇進して給料が上がるとローンを組んでクラウンを買い、それで友人とゴルフに行って羨ましがられるという、今ではコントのような情景が繰り広げられていました。

 

また今でも名残がありますが、住宅メーカーも広告のお得意様でした。

そのため結婚当初は賃貸か社宅、その後マンション、最後は郊外の一戸建てに買い替えるという「住宅すごろく」と言われる住み替えの形態も一般的で、そのような宣伝がされていました。

金利の上昇や地価の高騰などはお構いなしに、ある年齢になると一戸建てを購入するため、東京から2時間の通勤時間でも、多くの人が何の疑問も持たずにローンを組んで家を買う時代もあったのです。

これから百年で日本の人口が半減するはずなのに、数十年以内に巨大地震が訪れるとの予測がされていても、住宅は資産だからと信じて長期のローンで多くのサラリーマンが住宅を購入しているにも、このような考え方の名残です。

現実に、東京郊外の一戸建て・駅から離れたマンションの資産価値は半減しはじめているのに、マスコミは大手の広告主に気兼ねしてあまり取り上げることはないようです。

 

また、メディア側の人々は、自分の力で多くの人の意識が操作できるので、自分が偉いと錯覚しても仕方のない状況でした。

そのため「メディアは無知な読者を啓蒙する」スタイルが確立してしまいました。

 

「みんなが同じものを欲しがる」という共同幻想を、情報を発信する側も受ける側も不思議に思わない時代があったのです。

 

サラリーマンの経典としての日経新聞、オジサン世代と若者世代の大きな情報格差

そのような時代、特にサラリーマンは、経済紙である日経新聞を「情報神の経典」のようにあがめていました。

 

朝の満員電車はほとんどの人が四角く折りたたんだ日経新聞をみんな読んでいました。

若い社員は、「今日の日経のあの記事読んだか?」と言われたら即座に感想を言わないと出世の妨げになるくらいでした。

 

ネットのない時代について、ネットのある時代に育った人には想像するのが非常に難しいかもしれません。

 

インターネットの普及は情報神の化けの皮をはいでしまった。
若い世代に当たり前のことは上の世代には当たり前では無いという情報格差

でもインターネットの普及によって状況は一変しました。

 

多くの新聞は(嫌々ながら)部分的にですが、必要に迫られてネットに情報を載せています。

そのため、実はどの新聞も同じようなことが書いているのがわかってしまいました。

それに、ちゃんと自分で取材せずに記者クラブの発表をそのまま記事にしてれば、なおさら記事に違いはなくなってしまいます。

 

また最新の情報は、まずはネットに載るので、新聞の情報は既に昨日ネットで見た情報が紙に書いてあるだけになりつつあります。

さらに、英語が読めなくても翌日には翻訳したものや自動翻訳でも、独自に取材した海外の新聞の情報は知ることができます。

ブログには様々な情報のリンクが張ってあるし、twでは今何が起こっているかライブに近い状況で配信されています。

 

新聞は、「唯一の情報源」から、「多くの情報源の一つ」、それもちょっと古い情報になりました。

そしていま、情報を検索して、その中から有益な情報を選択する能力が問われる時代になっています。

 

「働ないオジサンは、なぜみんな日経新聞を読むのか?」、それは新聞しか情報収集手段をもたないからです。

若い世代が、「日経新聞だけで不安ではありませんか?」と言う意味で質問しているとはまったく思わないのです。

 

インターネットの使い方を知ってる世代は「新聞しか読まない」とことは、むしろ社会からいかに孤立するかを身をもって知っています。

しかし、情報収集の方法を習得しようとしない多くのオジサンは「新聞を読まない」=「経済情報をとっていない・勉強をしていない」と心から思っているのです。

 

また、この世代は、新聞に書いていあること(新聞社が伝えたいと思っていること)を信じています。

いまだに「新聞に書いてあったから正しい」と信じています。

 

ある世代より上ならば、新聞による情報操作が可能?

新聞は、未だに世代人口の多い年代の信者を抱えているので、一種のロビー団体としてふるまうこともできます。

ちなみに、新聞・雑誌やテレビの信頼度を日米で比較すると、日本では7割弱の人が信頼していると回答していますが、アメリカでは既に2割程度しかありません。

ただ、原発事故以降、「新聞に書いてあるから正しい」とする信仰は少し薄れ、共同幻想に不安を感じているようです。

 

一方、情報を発信しているマスメディアは、未だに自分が情報神であるかのような振る舞いのままです。

テレビや新聞が既得権化していて、新規参入できないことに安心しているのかもしれませんが、10年後いまのような全国紙やテレビ局があるかどうかは甚だ疑問となっています。

 

若い世代は、新聞に160円の情報価値を見出せないので買わないだけです。

団塊の世代が退職した今、駅で新聞を売り続けられるのでしょうか?

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世代間格差こそ、これからの日本の大問題

世代間格差の問題は様々なところに潜んでいます。

  • 高齢者が人口の1/4を超えた!
  • 出生率が1.4に満たない!!
  • 年頃の女性の半分が未婚!!!

などなど。

 

高齢化・少子化に関することがニュースになっています。でもなぜ問題なのでしょう?

実はそこには、今まであまり気にされていなかった「世代間の格差」という大きな社会問題が潜んでいます。

  • 高齢者が増えると医療費が年間1兆円ずつ増えるのに、それを支える若者の数が足りないので増税は必至。
  • 高齢者ばかりが自分の権利を主張するシルバー民主主義が、日本の将来世代への投資(子育て支援)の障害となる。
  • 若い世代は社会保障など将来の生活への不安から結婚できない、子供を産む決断ができない

といった問題は「世代間格差」を背景にしています。

 

世代間格差の代表「年金給付額」の格差

世代間の格差で最も代表的なものは、年金給付額の格差です。

厚生省が2015年に発表した試算によれば、厚生年金の場合、1945年生まれの現在70歳は保険料負担の4.3倍の年金を受け取ることができます。

1960年生まれの現在55歳では、保険料負担の3倍、それが1995年生まれの20歳では2.3倍となります。

つまり、高齢者は若者の二倍優遇されているということです。

 

また、厚生年金の場合は、労使折半で保険料を払っているので、実質的には2倍では払った額と同額が払い戻される計算になります。

そのためこれから働き始める世帯は、自分が納めた分の年金を受け取ることができないトレンドになっています。

 

さらに、

・この試算は、月収42万の夫と専業主婦をモデルにしていること

・この試算が中位推計という比較的人口減少率の少ない数字で試算されていること

・非正規雇用が急速に増加しており。非正規雇用者は、厚生年金よりも支給の少ない国民年金利用者になっていることが多いこと。

など、比較的格差の出来に前提で考えているにも関わらず、結果として大きな格差になっている点などが指摘されています。

 

なぜ「世代間格差」の問題が顕在化したのか?

1990年代のバブル崩壊までは、日本は高度成長とその余波で日本経済全体のパイが増えていました。

生活感覚としては、会社の業績は安定成長していて、税金は増えないが、給料は増える状態でした。

 

しかしその後成長が止まり、実際に今、衰退が始まっています。

「失われた20年」と言われている問題です。

 

会社の業績は怪しく、リストラせずには会社がつぶれる、就活に励まなければ就職できないし、給料が上がるなんていうことは基本考えられない。

その上、税金は上がり消費税もさらに上がる世の中です。

 

世の中が成長している間は、余ったものを分けって行くので、最悪でも自分の取り分が減ることはありませんでした。

しかし成長が無くなれば、あるいは縮小すれば、残ったパイを力で奪い合うか、あるいはもっと賢く分け合う方法を考えていかなければないません。

 

人間は「自分の分が減る」ことには非常に敏感です。

だから今まであまり気にしていなかった「世代間の格差」が、今まさに問題になってきているのではないでしょうか?

 

世代間の格差の問題は、非常に広範に色々なことに係ってきます。

それにゼロサムの世界なので、双方が取り分に与かることはできません。

極端に言えば、高齢者の医療費の無償化を目指すのか、100%の子供が低額の託児所に入れるようにするのか、どちらかを選ば無ければならない時代になってきました。

 

昔は成長分もあったし、国が借金をする余裕もあったのですが、今は成長分もないし、これ以上の借金もできそうにありません。

だからどちらかを選ぶか、あるいはお互いに少しづつ我慢することが必要なのです。

そのため、世代間の溝を埋め、理解を深め、話し合い痛みを分け合うことが大切なのです。

 

デフレの時代に育った世代は、痛みや喜びを分け合う習慣「シェア」が身についています。

しかし、成長していた時代の育った世代は、奪い合いが基本です。

ここに大きな溝があるのです。

 

世代間の格差を知るには、まずは世代の特徴を知る必要がある

世代間の意識のギャップを理解しその溝を埋めていくとが大切です。

そして、このことを考えようとしたら、世代・年代について、断片的な知識しかないことに気づきました。

そのため今度は、世代の特徴について少し話を進めていきます。

 

学生時代は回りは同じ世代なので気にする必要もありませでした。

しかし、社会人として生活し始めて初めて切実に感じることは、違う世代の人が「何を考えているか」わからないことでした。

 

  • 団塊の世代が65歳以上になって定年を迎える。
  • 彼は「ゆとり世代だからなぁ~」
  • 銀行の合併が進んでバブル(採用)行員が余っている
    などと○○世代という使われ方をよくしています。

実はこの「○○世代」という呼び方、世代間の格差、意識の違いを表すのに非常に便利であることがわかりましした。

世代ごとにレッテルを張るのはよく無いことですが、世代ごとに共通の意識があり、世代ごとの特徴があるのも事実なのです。

また、世代ごとの人口が大きく異なり、社会への影響の大きさの違いがあります。

 

各世代には、俗称(戒名?)がついています。

その時の既に社会人となっていた人から見た「新しい世代」の印象を批判的に表しているため、少し割り引いで取った方が良いのですが、なかなか気が利いています。

 

私も世代間の意識や価値観の違いで結構苦労しているので、○○世代、○○年代について分かりやすくざっくりとまとめてみました。

 

まずは、若い世代から順に追っていきます。

イメージを具体化するために年代を示しましたがあくまでも目安です。

 

ゆとり世代:ほぼ90年代生まれ(1987-2003)
「ゆとり」「ほどほど」「SNS」がキーワード

2015年現在で10歳~28歳くらい、 小中学校で2002年度、高等学校で2003年度に入学して、「ゆとり教育」の学習指導要領による教育を受けた世代です。

総称して「ゆとり世代」と言われています。

少子化が進んでいるため、世代の人口は、団塊の世代の半分程度でしかありません。

 

例えば、ゆとり教育前 、小学校4年生の授業時間1015に対して、ゆとり教育世代では945まで減少しました。

また円周率(3.14)が3と簡略化されるなど、上の世代からば「あまり勉強をしていない」という意味をこめて「ゆとり世代」と言われています。

 

また、ゆとり教育を重視したため、競争や規律よりを個性を重視されていて、学校でも家庭でも縦社会を経験していないことも大きな特徴と言われています。

 

特に、2015年時点では20歳くらいでやっと社会人になった世代は、新人類世代(1960年代産め)の子供に当たり、新人類Jr(1990-1995 )とも言われています。

 

生まれた頃はバブル景気ですが、大半はその後平成不況で育ち、デフレの世の中で成長した世代で、リーマンショック(2008)の影響による超就職氷河期(2010-2013 )も経験しています。

世代の移り変わりを見てきたため、「着実・クール」といった特徴があるようで、別名「さとり世代」とも言われています。

 

また、「がんばっても報われる」という経験が少ない世代でもあります。

そのため、高い目標よりは、身の丈にあった「ほどほど」であることを大切にしている、ある意味現実主義者です。

 

SNSが当たり前のゆわいるデジタルネイティブ世代

この世代は、SNSがコミュニケーションツールとして完全に定着している「デジタルネイティブ世代」でもあります。

中高生のころから当たり前に携帯電話やスマートフォンを持っており、世代特有のコミュニケーションの意識を持っています。

有益な情報をみんなで「シェア」するという習慣を大切にしているのも大きな特徴ではないでしょうか?

 

社会保障制度の制度的欠陥の負担をもっとも被る世代

また将来的に年金などで一番わりに合わない世代です。

厚生省の試算では2015年現在で70歳の世代は支払った年金の5.2倍の給付があるのに対して30歳代以下では2.3倍の給付になるとのことです。

これから生まれてくる世代については、もっと厳しいのか、それとも高齢化も一段落するので少し楽になるかは、なかなか予測はむつかしいかもしれません。

 

 

ミニマルライフ世代:ほぼ80年代生まれ(1980-1988)
「リスク管理」「シュリンク」がキーワード

2015年現在で27歳~35歳くらいの世代で、ちょうどアラサーと言われる世代です。

小学校でバブル崩壊、大学も就職氷河期(1993-2005)、阪神淡路震災などの天災、オウム真理教事件(1995)もあり、必要に迫られてリスク管理を考える世代です。

できるだけ日常の消費を抑えて、いざというときのために蓄財をする傾向があり、「ミニマルライフ世代」「シュリンク世代」「縮み指向の世代」と言われています。

「傷つくのが嫌い」「楽が一番」という価値観があるとも言われています。

 

リタイアしてこれから人生を楽しもうとする団塊の世代と全く逆の思考で行動している世代ともいえます。

それだけでなく、上の世代とこの世代意向では大きな断絶があるとも言われています。

 

また、非正規社員の増加が顕著になり可処分所得が減ったこともあり、この世代から車の販売台数や酒の消費量が顕著に落ちてきているのも事実です。

サラリーマンが就労者の7割を超えるような、世界的にも特殊な日本の社会構造が、当たり前ではなくなった世代かもしれません。

 

ポケベルから携帯へ、通信手段が変化

料金が低下し携帯電話が普及したのが1990年代後半であるので、この世代から通信手段が大きく変化してしているとも言われています。

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団塊のJr世代(1971-1974) ポスト団塊Jr世代(1975-1979):ほぼ70年代生まれ
「団塊Jr」「不運」「貧乏くじ」がキーワード

2015年段階で36~44歳くらいの世代で、既にアラフォーと言われる世代です。

70年代前半に生まれた世代は、団塊の世代の子供で第二次ベビーブーム世代に当たります。

そのため、少子化が進んでいるとはいえ世代人口が比較的多い特徴があります。

世代人口が比較的多いことで、厳しい受験戦争があり、校内暴力が深刻化した時代でもあると言われています。

バブル崩壊の影響による就職難もこの世代を襲っています。

 

また、とりあえず就職しても、失われた20年の影響やアジア通貨危機(1997)などもあり、自己・会社都合で退職を余儀なくされる人も多く、退職後には、非正規社員化することが多くなった世代で、「不運の世代」「貧乏くじの世代」とも言われています。

 

日本が成長していた両親を見ているため消費志向があるのに、自分の思ったような可処分所得が得られずに苦しい思いをしている世代とも言われています。

その影響もあり専業主婦嗜好があるが、共働きを余儀なくされ 、期待された第三次ベビーブームも実現しませんでした。

 

一方、ファーストフードやコンビニなど核家族化・個食化(家族が別々に食事をする)を支援するサービスが登場した世代でもあります。

 

コンピュータ・インターネットを身近に感じている世代

この世代は、ポケベルを個人で利用していた世代でもあります。

1987年からポケベルで数字が利用できるようになり、女子高生などの個人利用も増え「14106(愛してる)」などと利用されていました。

またウィンドウズ95(1995)の発売により、コンピューターが一般化するとともに、その後のインターネットの普及を実感している世代でもあります。

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新人類世代(1961-1970) バブル世代(1965-1969 ):ほぼ60年代生まれ
「バブル」「新しい価値観」「共働き」がキーワード

60年代前半は新人類世代、後半はバブル世代(1965-1969 )と言われ、2015年現在で45歳~55歳くらいで、ちょうどアラフィフと言われる世代です。

新人類世代は、それまでの世代とは違った感性・価値観を持っていると上の世代から位置づけられた世代でもあります。

 

バブル世代は、バブル景気(1986-1991)のころ社会人になっており、日本が好景気に浮かれたバブル時代を比較的若い社会人として経験していて、拝金主義的ともいわれています。

良くも悪くもアグレッシブで、下の世代からは、未だにあきらめずにチャレンジを続ける「痛い世代」もと受け止められています。

 

バブル世代の男性は、好景気に浮かれて企業が大量採用したこともあり、会社の中ではバブル社員として、今や浮いた存在とも言われています。

一方、バブル世代の女性は男女効用均等法の第一世代で、共働き世帯が多く、未だに購買意欲が盛んであり、常にこの世代向けの女性誌(主婦誌でもママ誌でもなく)は発刊されるなどの特徴があります。

 

断絶の世代(1951-1960)・しらけ世代(1950-1965)。ポスト団塊の世代:ほぼ50年代生まれ

2015年時点では55歳~65歳、アラカン(アラウンド還暦)世代と言われます。

団塊の世代、全共闘世代といった政治に関心を持った世代の次の世代で、しらけ世代(1950-1964)とも言われています。

 

団塊の世代との比較で「無気力・無関心・無責任」の三無主義を中心とする一種の個人主義に徹する傾向があるといわれ、フォーク世代ソングが流行った時代でもあります。

 

一方で高度成長から安定成長、バブル景気をサラリーマンとして楽しんだ、終身雇用・年功序列の日本型企業システムでギリギリ守られた世代ともいえます。

また、仕事だけでなく家庭の充実だけでなく、「自分らしく生きたい」と自分の気持ちや欲求を優先する “欲張り”世代といえます。

 

さらに、団塊の世代、新人類世代に挟まれ、調整役を果たすことが多い世代とも言われています。

さらに、アニメやコンピューターゲームがブームになった世代でもあります。

 

ちなみに安倍晋三総理大臣はこの世代です。

 

全共闘世代(1941-1949)と団塊の世代(1947-1949):ほぼ40年代生まれ

2015年時点では65歳~75歳、シニア(前期の高齢者)と言われる世代。

前半は、戦中生まれですが、戦争が終わってみんなが子どもを産むようになり、劇的に世代人口が増えた第一次ベビーブームという印象が非常に強い世代です。

 

1965年~1972年の、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った人は、特に全共闘世代とも言われており、学生運動が盛んであった世代でもあります。

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とにかく世代人口が多く、それだけに自分たちの主張で世の中を変えられるような意識(学生運動など)を持ちがちな世代で、最近では安保法制のデモに、喜々として参加している定年退職者としての姿が印象的な世代でもあります。

下の世代からは、「アツイ」、人に説教をするといイメージを持たれていました。

 

社会人としては、戦前生まれの日本人が実現した高度成長の成果を享受し、「ジャパンアズNo1」と言われ世界に評価されその後バブル景気でも管理職としてサラリーマン生活をおう歌できた恵まれた世代でもあります。

今の若い世代にはなじみがないかもしれないけれど、植木等の「(サラリーマン)無責任シリーズ」を地で行くような幸せなサラリーマンの世代ともいえるのではないでしょうか?

ちなみに、植木等のサラリーマンシリーズは、日本の復興を担い、猛烈社員として働かされる毎日を笑い飛ばすことでサラリーマンに元気を与える作品だったと言われています。

 

昭和一桁世代(1926-1934)と焼け跡世代(1935-1939):戦前生まれ

2015年時点で75歳以上、1945年の終戦を小学生から高校生くらいの年代で迎えた世代です。

世界的にもまれな19年続いた高度経済成長(1954~1973)を、猛烈サラリーマン・社員として支え、今世界で評価される日本を代表するような企業を作り上げてきた世代です。

ちょうど1990年代から現在までの中国の成長と似たイメージかもしれません。

日本各地の農村から上野駅に上京して就職し、焼野原だった東京が今の東京になっていくのを支え、その様を見てきた世代でもあります。

 

 

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そして、戦後復興からから高度成長・東京オリンピックの実現を成し遂げた世代でもあります。

 

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世代間格差や世代はなぜ生まれるのか?

世代間の格差はなぜ生まれるのでしょうか?

常に安定した社会環境が維持され、外国からの影響もなければ、10年程度の短いサイクルで世代間の違いが出ることはあまりありません。

例えば、文化文政・元禄時代は華やかな時代、享保時代は質素倹約など、国全体の風潮はありますが、すべての年代の庶民に共通することで細かく世代ごとでの違いはありませんでした。

 

世代を生み出す最も大きな原因は、戦争や飢饉・疫病などです。

団塊の世代(1947‐1951)年は、日本が戦争に負けはしましたが、戦後の新しい時代になり、人々が一斉に子供を産むようになったのが原因です。

またその後、食料危機が起こるかもしれないという懸念から、合法的に中絶を認める優生保護法が制定されたため、出生率が急激に落ち、今の少子化につながっているといわれています。

日本に限らすアメリカにもベビーブーマー世代があります。

 

ちなみに、2013年に生まれた赤ちゃんの人口は103万人、1949年に生まれた人(団塊の世代)は223万人なので、同級生の数が倍もいることになります。

教科書などで人口ピラミットを見ることがあるかと思いますが、くびれの両側の飛び出した部分が団塊の世代とその子供の世代になっています。

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また革命も世代による影響が多く、アラブの春などは若者世代が多いことによって生み出されたといわれています。

 

世代間の格差こそが現在のマーケッティングの神髄

あまり知られていないメディアと世代間格差

世代間の格差は、新聞や雑誌・テレビなどのマスメディアのマーケティングとも深く係っていますが、マスメディアはこのことについてあまり語ろうとはしません。

どうしても、前時代的な「メディアはえらいので愚かな読者に教えてあげよう」的な啓蒙思想から抜け切れていないので、知る必要のないことは言わないのかもしれません。

 

例えば、新聞を読んでいるのは60歳代以上です。

広告は正直なので、久しぶりに新聞を開いてみると、健康・長生き系の広告に驚きます。

 

若者には当たり前ですが、テレビを見ているのもシルバー世代前後・高齢者です。

逆に若者や子どもは、動画を見ていいます。

今の子どもに至ってもっと進んでいて、言うことを聞かない子供のしつけの一環として「タブレットを取り上げて、罰としてテレビを見せる」そうです。

 

視聴率やアンケート調査も世代間で大きな格差

世代間で利用してメディアに違いがあるため、アンケート調査などにも大きな影響が出始めています。

先ほど話に出ましたが、テレビを見ているのは中年から高齢者の世代です。

なのでテレビの視聴率は、実は高齢者の好みが大きく反映されています。

サッカーやラグビーの日本代表の試合が他の番組に比べて高い視聴率を出すのは、テレビを見ない世代がテレビでしか放映されていないため、見るようになるからのようです。

 

また、政治に関するアンケート結果、なんとなく違和感を思えることはないでしょうか?

実はこの調査、昼間に固定電話にかけて行われるものが多いのです。

昼間に固定電話に出られる世代は高齢者ばかりです。

そのため、その結果が他の世代にはスッキリしないものになります。

 

しかし、選挙の投票率は圧倒的に高齢者が高く、政治家はそのことをよく知っているので、高齢者の答えるテレビや新聞のアンケートを重視しています。

選挙のためにはそれで充分なのですから。

 

冗談ではない深刻な世代間格差の問題と日本の未来

これまで、世代間の格差や特徴、その影響についてお話してきました。

ここからは、これまでの話してきたことをもとに、今度は、近い将来から50年後くらいのことを考えてみました。

 

世代間格差の背景にある想像以上の逆ピラミットとその重圧

日本の人口は、50年後には8000万人、百年後には4000万人代という予測もあります。
一方で、今65歳以上の高齢者の割合は人口の四分の一ですが、20年後には人口の三分の一が高齢者となる社会が訪れます。

そして、2060年には、人口の2.5人に一人が高齢者という恐ろしい時代が訪れます。

 

それでも、人口が増えていた最近までは、三角形の底辺があり、その広い部分で全体を支えていました。

しかし今の若い世代は、逆三角形の人口ピラミットを、点で支えることをしていかなければなりません。

 

日本の平均寿命を85歳とすれば、最も人口の多い団塊の世代が今から約20年間生きることになります。

今の社会保障制度を続けるならば、これから働き盛りの団塊のJrより若い世代は重税にあえぎ、自分たちの上の世代を支えるために働いているような状況になってしまうのです。

 

税と社会保障の一体改革では、今の社会保障のシステムを維持するには消費税30%でも足りないとの試算がなされています。

一万円の買い物をすれば必ず3000円の税金を払うことになるのです。

 

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超高齢化社会に合わない社会保障制度のシステムがさらなる世代間の格差を生む

年金や社会保障をはじめとして日本の制度は、高度成長期にその時の状況に合うよう制度化されています。

そして、問題が発生するたびに、最小限に修正したり、国の予算から補填することで維持されてきました。

 

例えば、今の年金の制度は、人口が増え、経済が成長する前提で、多くの人で少ない老人の世話をする仕組まれています。

 

また自分の年金を自分で積みてているかのように装われています。

しかし実際は、自分で払った年金はその時の老人の年金のために使われる仕組みとなっているため、ある意味「自転車操業」です。

そのため、自分が年金を支給される時に払うお金がなければ受け取る額が減らされてしまう仕組みなのです。

すでに、今でも年金の財政は危機的な状況で、過去の積み立てを取り崩し、かつ税金で補うことで、何とか制度を維持しているのが実態です。

 

成長がとまり、高齢者が増大する社会では、制度そのものが成り立たないのは随分前からわかっていました。

にもかかわらず、政治は世代人数が多く投票率の高いシニアから高齢に至る人々の給付を減らすような政策を取れずにいます。

 

また優秀と言われる日本の官僚もこの問題に触れず、一方で年金基金で不要の保養施設を作り、天下りの温床にしていました。

2004年に明らかになった公的年金不正利用問題では6兆円もの年金が無駄に流用されていたにも関わらず誰も責任を取ることはありませんでした。

 

世代間格差は政治しか解決できない

世代間の意識の格差は、非常に幅広くかつ根深い問題です。

そのため、この問題を解決していくにはやはり政治の力が必要になります。

 

一方、バブル崩壊以降、経済については政治のできることに限界あることは明らかです。

デフレの世の中しか知らない世代は身をもってこのことを実感しています。

景気対策が行われていると報道されていても、その実感が全くないのですから。

 

アメリカのアップル社が中国などで作ったiphonを使っている時代、市場や経済について、鎖国でもしない限り、国が出来ることは非常に少ないのです。

逆に今の日本の産業政策では、時代に合わずつぶれそうな企業を保護することばかりをしているようです。

 

しかし、税金とその再配分については、政治で解決できる、政治にしか解決出来ない問題です。

 

 

「投票しても政治はかわらない」はマスコミの情報操作になっている?

若者の政治に無関心だというニュースが流れています。

「投票しても何もかわらないから」とインタビューに答えています。

でも本当でしょうか?

そもそも街頭インタビューそのものが「仕込み」であるといのもありますが、多くの意見のなかから、その部分を抜き出した意図があるのかもしれません。

 

実は投票した人が有利になっている いまの政治

年金をはじめ、今も高齢者に有利な制度が続いています。

破綻することがわかっているのに続けられているという現実や、将来大きな世代間の格差が生じることがわかっていた現実と、高齢者の人口と投票率の高さは無関係なのでしょうか?

私にはそうとは思えません。

 

政治家にとって一番大切なこと。それは「次の選挙でも当選すること」です。

どんなに志が高くても、選挙に落ちればただの人(選挙の借金が残ると大きな借金のあるただの人以下)です。

だから当選するためには何でもします。

でも、さすがに選挙区のすべての有権者と握手も出来ないし、すべての有権者の言うことを聞くこともできません。

 

ここで都合の良いことに、今の日本は、世代ごと特徴がきれいに分かれています。

ならば人口が多くて、投票率が高い世代に焦点をあてて政策を実現するのが当然です。

投票率が高くて、人口の多い世代、それは明らかに団塊の世代とその周辺なのです。

さらに小選挙区制では、選挙区から当選する政治家は一人なのでこの傾向は強くなります。

 

無理をしても旧来型の制度を代えようとしないのは、意味があるのではないでしょうか?

あなたはどう思いますか?

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世代間格差の維持を主張する「シルバー民主主義」の出現

年金制度を少しでも存続させるために、物価が安くなった分の年金を引き下げる制度がやっと実施されました。

年金生活者も国民として痛みを分かち合いましょう!という制度です。

 

しかしこの決定に対して、年金の引き下げを違憲とする集団訴訟が起こされています。

年金の受給は自分たちの権利との主張で、社会保障や税の再配分など関係ないという、自分たちのことだけを考えた主張です。

財政が厳しいなら早い者勝ちという世代的な特徴もよく表しています。

 

訴訟を起こすことは自由ですし、その判断は裁判所が下します。

しかしこれこそ、これから起こる世代間格差の象徴的な出来事です。

 

2015年で65歳の高齢者は、1950年前後に生まれた世代で、安保闘争世代の影響を多く受けているため、若いころから政治参加に積極的で投票率が高いのです。

団塊の世代は、戦後のベビーブームの影響で世代人数が多い特徴もあります。

 

またこれまで各世代について説明してきましたが、同じような考え方を持っていて、世代としてまとまっているのは、団塊の世代とその前後です。

さらに、情勢源の制約もあり、世代として同じような意見に集約されたまとまったグループを作る傾向があります。

 

そして政治家は次の選挙での当選を一番に考えざるを得ないのです。

 

このままではしておくと、日本は「老人の」「老人による」「老人のため」の国になってしまいます。

 

 

 

世代間格差の犠牲者にならないために

これまで「働かないオジサンはなぜ日経新聞を読むのか」を例にとり、世代間の意識の格差、世代ごとの特徴、世論と世代、そして年金・社会保障と世代間の格差などについて書いてきました。

そして最後にこの問題は政治しか解決出来ないことを書きました。

 

税金の再配分、主張しなければ「食い物」にされるかもしれない

政治とは、外交・安全保障から生活に直結する社会保障までさまざまな分野に関係しています。

なので一般に言われているように「政治(全般)に関心を持つ」必要はないのかもしれません。

しかし、生活に直結する税とその再配分については関心を持つべきです。

 

関心を持ち主張しなければ、世代間の競争に負けてしまいます。

そして貧乏くじの世代として一生働くことになるのです。

 

民主主義は「多数決」ではない

「民主主義は多数決だ!」と短絡的に言う人もいます。

しかし本当に多数決ならば、今の状況の延長にあるのは超高齢化社会です。

絶対的に数の多い、高齢の世代が、部分達の投票権を盾に政治化に社会保障ばかりを要求し、借金まみれの財政は自分たちが死んだ後のことなので関与しないという状況が容易に想像できます。

 

確かに民主主義は最終的には「多数決」かもしれません。

しかし、その段階に至るまでに「対話と合意形成」を尽くすことこそ本当の民主主義なのではないでしょうか?

 

そのために、「投票したって何も変わらない」と誤解している若い世代が、自分たちの生活にかかわる税や再配分のことをよく考え、そのことを参考に投票するような社会にしていかなければなりません。

おりしも今年から選挙権は18歳に引き下げられました、もう一度主権者として自分たちの国の将来を真剣に考える時期に来ています。

 

人口だけでなく財政も破たんすれば本当に日本がなくなってしまうかもしれません。

こればフィクションではないのです。

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