2016.03.09 文化芸術振興

知らないと損する仏像の歴史!

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仏教美術は大陸よりむしろ日本で繁栄した!

日本の仏像表現は、瞑想感のような深さがあります。

こういった深さは中国やチベット仏教の仏像にはみられず日本独特の文化芸術です。

日本の仏像彫刻の表現の芸術性*とその美的要素は高い評価を受けています。

*参考記事:【モンゴル帝国】マルコ・ポーロの「ジパング」黄金伝説

今回は仏像の歴史について、そしてなぜ日本人が彫る仏像が大陸のと比べ、表現が深いのか説明します。

仏像とは釈迦の姿だった?!

仏像*とはもともとは、仏教を始めた釈迦の姿のことを示します。

(*参考記事:誇るべき日本の天平文化、シルクロードと仏教美術

現代では、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のことをさします。

仏の原義は「目覚めた者」で、それは「真理に目覚めた者」や「悟りを開いた者」の意味を示します。

仏教の開祖の釈迦は、言い伝えでは紀元前6世紀頃に生まれました。

釈迦は菩提樹の木の下で悟りを開きました。

菩提樹

釈迦が悟りを開いたといわれている菩提樹の木

リラジャン川で沐浴をし、村娘より乳糜を受け菩提樹(上記写真)の木の下で瞑想をしました。

瞑想を始めた釈迦の心を乱そうとマーラ(煩悩の化身)が現れましたが、釈迦はこれを退け(降魔)悟りを開いた(正覚)と伝えられています。

当時のインド社会では、主流であったバラモン教は祭祀を中心とし神像を造らなかったとされています。

その他、仏教以外の宗教も存在しましたが、どれも尊像を造って祀るという習慣はありませんでした。

釈迦が出生した頃の原始仏教もこのような社会的背景の影響下にあり、仏像はつくられていませんでした。

むしろ、仏像をつくる事はタブーとされていたようです。

しかし釈迦の信者たちは、なんらかの具体的な形として釈迦の教えを残したいと考えました。

タブーに触れずに、崇拝・礼拝・信仰できる対象として考え出されたのが,

  • 菩提樹:釈迦がその下で悟りを開いた
  • 法輪(ほうりん):釈迦の説法を象徴する
  • 仏足石(ぶっそくせき):足跡

を造ることでした。

仏足石の中央には二重の輪と放射状の線が彫られ、釈迦を表しています。

仏足石

仏足石

釈迦の特徴

しばらくの間は仏足石などの釈迦の象徴によって表現され信仰されていましたが、時間がたつにつれ信者達は実際の釈迦像をつくり始めました。

釈迦には常人とは異なる32の大きな特徴と80の細かな特徴があるとされ、三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅごう)と呼ばれました。

経典により「三十二相八十種好」の内容に多少の違いはあります。

三十二相とは

1. 足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう): 足の裏が平らで、地を歩くとき足裏と地と密着して、その間に髪の毛ほどの隙もない(扁平足)。

2. 足下二輪相(そくげにりんそう):足裏に輪形の相(千輻輪)が現れている。仏足石はこれを表したもの。

3. 長指相(ちょうしそう):10本の手指(もしくは手足指)が長くて繊細なこと。

4. 足跟広平相(そくげんこうびょうそう):足のかかとが広く平らかである。

5. 手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう):手足の各指の間に、鳥の水かきのような金色の膜がある。

6. 手足柔軟相(しゅそくにゅうなんそう):手足が柔らかで色が紅赤であること。

7. 足趺高満相(そくふこうまんそう):足趺すなわち足の甲が亀の背のように厚く盛り上がっている。

8. 伊泥延腨相(いでいえんせんそう):足のふくらはぎが鹿王のように円く微妙な形をしていること。伊泥延は鹿の一種。

9. 正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましっそう):正立(直立)したとき両手が膝に届き、手先が膝をなでるくらい長い。

10. 陰蔵相(おんぞうそう):馬や象のように陰相が隠されている(男根が体内に密蔵される)。

11. 身広長等相(しんこうじょうとうそう):身体の縦広左右上下の量が等しい(身長と両手を広げた長さが等しい)。

12. 毛上向相(もうじょうこうそう):体の全ての毛の先端が全て上になびき、右に巻いて、しかも紺青色を呈し柔軟である。

13. 一一孔一毛相(いちいちくいちもうそう):身体の毛穴にはすべて一毛を生じ、その毛孔から微妙の香気を出し、毛の色は青瑠璃色である。

14. 金色相(こんじきそう):身体手足全て黄金色に輝いている。

15. 丈光相(じょうこうそう):身体から四方各一丈の光明を放っている(いわゆる後光)。光背はこれを表す。

16. 細薄皮相(さいはくひそう):皮膚が軟滑で一切の塵垢不浄を留めない。

17. 七処隆満相(しちしょりゅうまんそう):両掌と両足の裏、両肩、うなじの七所の肉が円満で浄らかである。

18. 両腋下隆満相(りょうやくげりゅうまんそう):両腋の下にも肉が付いていて、凹みがない。

19. 上身如獅子相(じょうしんにょししそう):上半身に威厳があり、瑞厳なること獅子王のようである。

20. 大直身相(だいじきしんそう):身体が広大端正で比類がない。

21. 肩円満相(けんえんまんそう):両肩の相が丸く豊かである。円満。

22. 四十歯相(しじゅうしそう):40本の歯を有し、それらは雪のように白く清潔である(常人は32歯)。

23. 歯斉相(しさいそう):歯はみな大きさが等しく、硬く密であり一本のように並びが美しい。

24. 牙白相(げびゃくそう):40歯以外に四牙あり、とくに白く大きく鋭利堅固である。

25. 獅子頬相(ししきょうそう):両頬が隆満して獅子王のようである。

26. 味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう):何を食べても食物のその最上の味を味わえる。

27. 大舌相(だいぜつそう):舌が軟薄で広く長く、口から出すと髪の生え際にまで届く。しかも、口に入っても一杯にはならない。

28. 梵声相(ぼんじょうそう):声は清浄で、聞く者をして得益無量ならしめ、しかも遠くまで聞える。

29. 真青眼相(しんしょうげんそう):眼は青い蓮華のように紺青である。

30. 牛眼瀟睫相(ぎゅうごんしょうそう):睫が長く整っていて乱れず牛王のようである。

31. 頂髻相(ちょうけいそう):頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している。肉髻(にくけい)。

32. 白毫相(びゃくごうそう):眉間に右巻きの白毛があり、光明を放つ。伸びると一丈五尺ある。

八十種好とは

(主なもの)

  • 耳が肩まで届く程垂れ下がっている。(俗に福耳
  • 耳たぶ(耳朶)に穴が空いている。(耳朶環状)
  • のどに3本のしわがある。(三胴
  • 眉が長い。
  • 鼻の穴が見えない。
  • へそが深く、右回りに渦を巻いている。 

(三十二相八十種好 / Wikipedia)

非常に細かいディテールまで、釈迦の特徴が決められていることがわかります。

仏像の誕生

仏像が作られ始めた年代は紀元後1世紀後半~2世紀頃で,そのキッカケは,異文化の影響が大きいといわれています。

西北インドガンダーラ地方と北インドのマトゥーラ地方(現在はパキスタン)に仏教が伝わると、仏像が盛んに造られるようになったことから、当時、インドでもっとも大きく権力をもっていたクシャーナ王朝は,西北インドから中部インドにかけて広大な領土を支配していました。

釈迦像

白毫と、丸い光背を付けているガンダーラの仏立像(1-2世紀)東京国立博物館蔵

この王朝を築いたクシャーナ族は、インド人と同じアーリヤ系の民族でしたが、もともとはイラン系の騎馬民族です。

異民族、異文化であったため,従来のインドの「仏像をつくらない」というタブーに左右されなかったのかもしれません。

またクシャーナ王朝の首都があったガンダーラ地方は、紀元前4世紀のアレクサンダー大王の侵入以来,間断的にギリシア人が支配していた地域でもありました。

つまりガンダーラ地方は、クシャーナ族が統治する前から異文化、特に彫刻芸術で名高いギリシア文化と接していた場所であり、インド文化だけに縛られていませんでした。

また北インドのマトゥーラ地方(現在のパキスタン)でも仏像彫刻が盛んにつくられていたことにより、インドの仏像は、ギリシャ美術、ペルシャ文化に影響されました。

マトゥーラの仏像は方がいかり肩で力強く、彫刻的でボリューム感に富む仏像がつくられました。

マトゥラーの弥勒菩薩坐像(2世紀)パリ・ギメ東洋美術館蔵

マトゥラーの弥勒菩薩坐像(2世紀)パリ・ギメ東洋美術館蔵

 

ガンダーラ仏教美術

古代インド地図

古代インド地図 CC:Kmusser (Wikipedia ガンダーラ)

地図上のガンダーラ(Gandhara)地方のある北インドは、紀元前330年頃にペルシャを超えてきたアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の遠征軍に制圧されました。

この遠征と統治がインド・ガンダーラにギリシャ文化を持ち込みました。

アレクサンダー大王の死後も、紀元前2世紀頃にはグレコ・バクトリア王国のギリシャ人に支配され、ガンダーラ地方でのギリシャ文化の影響は続きました。

<アレクサンダー大王・豆知識>

ちなみにアレキサンダー大王の在位は紀元前336年〜紀元前323年とされており、アリストテレスから様々な学問を学んだといわれています。

アリストテレスを最高の師として崇め「ピリッポス2世から生を受けたが、高貴に生きることはアリストテレスから学んだ」という言葉を残しました。

Alexander_and_Aristotle

アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス

最初の彫刻は仏伝図のレリーフ(浮き彫り)

最初の彫刻は,釈迦の生涯(仏伝)を描いたレリーフ(浮き彫り)で、独立した仏像ではありませんでした。

そして、礼拝の対象として釈迦の姿をした仏像が作られました。

それから、釈迦以前にも仏陀(過去仏)や複数の如来がいると考えられ、さまざまな種類の仏像が彫られていきました。

レリーフの仏伝図は、仏教説話図のうち釈尊の出生直前から涅槃 (ねはん) 直後までの事績のそれぞれのシーンを表現したものです。

 

CC by Uploadmo

レリーフ ”Sharing of relics and Gandhara fortified city” Photographed at Musee Guimet 2009 CC by Uploadmo

釈迦の姿

釈迦如来とは、唯一現世で悟りを開いた実在の人物である釈迦のことを表します。

下記の写真のように左右に菩薩である脇侍が付いた形式を、釈迦三尊といいます。

菩薩とは、成仏(如来になること)を求め、現世で修行する人を表したものです。

もともと釈迦の仏像は信者によって今から2000年以上前に造られました。

釈迦の説法を後世に語り継ぎ、礼拝の対象としたいという信者の思いが今でも仏像が何十世紀も祀られている仏像の源になっています。

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法隆寺金堂の釈迦三尊像(国宝) 中央:釈迦如来 向かって右:薬王菩薩 左:薬上菩薩

日本への仏教伝来

日本への仏教伝来は552年と538年の2説ありますが、538年が有力とされています。

ただしそれ以前にも、渡来人による信仰が日本にもたらされておりました。

奈良時代に成立した日本の最古の正史、「日本書記」によると、552年10月に「百済の聖明王が仏像や経論を献ずる」としています。

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日本書記

6世紀の仏教伝来とともに様々な文化も日本に入ってきました。

8世紀の奈良時代の天平文化*では、多様性のある大陸文化を積極的に取り入れ栄えました。

(*参考記事:【世界文化遺産】絹の道を越え、古の文化交流の宝が日本にもある!

仏像とは

普段あなたが何気なく見ている仏像も2千年以上も経た歴史の姿です。

それは重なり合った異文化の交流の表れであり、信仰なのです。

 

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