2015.06.11 パラオ

5分でわかる!日本人なら読んでおきたい親日国パラオと日本の歴史【まとめ】

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「日本とパラオの歴史」は、今上天皇陛下のパラオ・ペリリュー島への慰霊の旅から始まります。

今上天皇陛下の慰霊の旅は、日本人に第二次世界大戦の悲しい歴史を思い起こさせ、さらに今上天皇陛下の平和への強い思いが伝わることとなりました。

日本とパラオの歴史とは―
・31年間の日本による統治
・第二次世界大戦のパラオ・ペリリュー島での悲劇の戦い
・世界一の親日国

です。

歴史を遡(さかのぼ)ると、パラオは、スペイン、ドイツ、日本、アメリカの植民地でした。
ではなぜパラオは世界一の親日国なのでしょうか?
この理由についてもアプローチをします。

それでは日本とパラオの歴史を、第二次世界大戦から振り返ってみたいと思います。

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日本とパラオの歴史(1)、第二次世界大戦でパラオ・ペリリュー島は戦略的価値

日本とパラオの歴史、まずは第二次世界大戦からです。

第二次世界大戦とはなんだったのか?
私たちはいつまでも目を背けていては、ならないと思います。

第二次世界大戦、パラオ・ペリリュー島で日米軍の死闘が繰り広げられました。日本軍は1万人。対する米軍は4万7000人以上、加えて機関銃、火炎放射器、大砲、などがあり戦力差は段違い。
日本軍は洞窟に穴を掘りゲリラ戦に持ち込みました。

3日もあれば陥落できるとアメリカは思いましたが、戦いは2カ月半も続けられました。
しかし抵抗むなしく日本軍は最後、玉砕してしまいます。

パラオ・ペリリュー島には1200mの滑走路2本の飛行場があり、日本軍にとり重要な軍事拠点でした。

日本は、米軍がパラオ・ペリリュー島経由でフィリピンへ攻撃すると考え、西カロリン、西部ニューギニア、フィリピン南部を結んだ三角地帯の防備を強化する構想を持っていた、といわれています。

ニューギニア・カロリン・フィリピンの三角地帯の内側にパラオ・ペリリュー島があり、グアムやサイパン(マリアナ)の後方支援基地としても、戦略的価値があったのです。

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日本とパラオの歴史(2)、日本軍はマッカーサーとニミッツ両面作戦に遭う

日本とパラオの歴史、第二次世界大戦は続きます。

1943年(昭和18年)末から1944年(昭和19年)にかけ、南方の戦線はマッカーサーを指揮官としてニューギニア、ガダルカナル、そしてフィリピンを目指すアメリカ陸軍の攻撃が続き、さらに中部太平洋を渡ってくる米海軍と海兵隊の大機動部隊による攻撃が始まっていました。

日本軍は、島づたいに北上するマッカーサー軍と、太平洋を渡ってくるニミッツ(太平洋艦隊司令長官)軍との両面作戦に遭ったのです。

両方とも目的地はフィリピンです。フィリピンを落とせば日本本土が視野に入るからです。

1944年夏に襲ったのがサイパン島でした。6月15日米軍はサイパン島に上陸、日本連合艦隊がマリアナ沖海戦に挑みますが、6月19日、惨憺たる敗北をしてしまいます。
7月、サイパン島日本軍は玉砕、7月18日、東条内閣は総辞職します。

米軍はつぎにフィリピンを狙います。
日本軍はフィリピン諸島で米軍を迎え撃つ決戦場とします。

1944年10月末、フィリピン東方海域で凄惨な戦いが展開されました。レイテ沖海戦です。日本連合艦隊はここで死闘の限りを尽くしますが、ほぼ全滅してしまったのです。

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日本とパラオの歴史(3)、パラオの戦争が悲劇とは?

日本とパラオの歴史、第二次世界大戦の激戦地パラオ・ペリリュー島の戦い。

1944年末、パラオ・ペリリュー島では、当初上陸した米海兵隊が思いもかけず日本軍の抵抗に遭い、米陸軍への交代が行われました。
しかしその時、アメリカはパラオ・ペリリュー島を超え、フィリピン攻略を始め、日米の主要な戦場はフィリピンに移っていたのです。

そうです、日本軍の「三角地帯」で米軍に立ち向かうというパラオ・ペリリュー島の戦略的価値は既になくなっていたのです。

戦略的意味がなくなっていたにもかかわらず、「玉砕」が行われてしまいました。
悲劇の戦いといわれるゆえんです。

パラオ・ペリリュー島での、日本軍の戦死者は1万695人、捕虜202人、生き残った者34人、一方のアメリカ軍の戦死者は1794人、戦傷者8010人でした(ウィキペディアから)。

忘れ去られたこの悲劇の戦いの意味を、私たちは今あらためて考えなければならないのです。

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日本とパラオの歴史(4)、日本統治時代は日本人の方が多かった!

「日本とパラオの歴史」は、スペイン統治時代にまでさかのぼります。

パラオは16世紀からスペインに統治され、その後、ドイツに売却、第一次世界大戦・パリ講和会議(1919年)で、連合国側だった日本は、ドイツの植民地だったパラオを委任統治領とします。
日本はそれから31年間、植民地として統治します。

産業振興はもとより、ドイツ統治下では、ほとんど行われていなかったとされる学校・病院、道路などのインフラ整備を推進、1920年代には、首都コロール(当時)を近代的な街並みに変貌させた、といわれています。
現地人に対する日本語による学校教育も行われました。

首都コロールに南洋庁が開設された1922年には日本人はわずか数10人でした。
その後、沖縄などから移住が進み、1935年には、5万1861人にもなり、パラオ島民5万573人を超えるまでに至りました。

なんと、パラオの国民より日本人のほうが多かった、そんな時期があったのですね。

しかし第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まるとコロールは米国・連合軍にとって重要拠点と位置付けられ、攻撃の対象となりました。

1944年、要衝の地・パラオ・ペリリュー島での戦いは、苛烈を極め、1万人の日本軍がほぼ全滅をしてしまいました。先の戦史で記したとおりです。

終戦を経て、米国は1947年からパラオを信託統治。
47年後の1994年10月、パラオはアメリカからの独立を果たします。

親日パラオ初代大統領のクニオ・ナカムラ氏は父親が三重県伊勢市出身の日系二世です。
2006年、それまでコロール(コロール島)にあった首都機能を、マルキョク(バベルダオブ島)へ移転させます。「首都移転」により実質的な独立を成し遂げた、と考えられます。

31年間の日本統治、太平洋戦争、アメリカ統治を経て、独立したパラオは今もなお世界一の親日の国とされています。

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日本とパラオの歴史(5)、パラオが親日国の理由とは?

パラオ・ペリリュー島での戦いには逸話が残っています。
日本軍は現地人をいっさい巻き込まなかった、というのです。
戦いが終わり帰島した彼らは、日本軍の遺体を葬りました。日本人がいつ来ても良いように墓地の清掃などに心掛け、今も墓守を続けていてくれているのです。

親日家の多いパラオ・ペリリュー島の人びとは、今でも日本人の英霊の魂を守り続けてくれています。
ペリリュー島民、アントニア・ウエンティさん(85・女性)は「緑の島のお墓」という日本語の歌を作り、今でも歌い続けているそうです。

〈遠い故郷から はるばると/お墓を参りに ありがとう/みどりのお墓の お守りは/ペ島にまかせよ/いつまでも〉

パラオが親日である、その理由について独自の見解を持っておられる方がいます。
ほかならぬ今上天皇陛下です。

川島裕・前侍従長の随行特別手記(文藝春秋6月号)で

陛下は、南洋興発(註:南洋の開発に中核的な役割を果たした国策会社)を率いた松江春次が、かつて敗者の立場を経験した会津藩出身であったことから、島民に対する思いやりがあったので、今でもあの地域の人々の対日感情が良好なのではないかと仰せになったことがある。

と記しています。

もちろん会津藩は、徳川政権を最後まで守った藩で、天皇を頂いた倒幕派の朝敵でした。
今上天皇陛下の歴史認識の深さを改めて感じることができます。

歴史上、パラオは、スペイン、ドイツ、日本、アメリカの植民地でした。
ではなぜパラオは世界一の親日国なのでしょうか?

 

親日国パラオの理由、統治国では日本だけが「多神教」の国

理由は文化人が示してくれます。

パラオを舞台にした小説を日本人が書いています。
作家・池澤夏樹さんの「マシアス・ギリの失脚」です。
パラオらしい南洋の島国、日系人らしい大統領マシアス・ギリの政治権力、その失脚を幻想的な要素も含めて描いた作品です。

池澤さんは、世界文学について、戦前までは西欧(一神教)の国における小説が絶対だったが、戦後は西欧以外(アニミズム)の国の小説が台頭してきている、と主張、戦後の小説の流れを、ポストコロニアリズム文学(植民地主義以降)という表現を使っています。

この考え方に基づき「マシアス・ギリの失脚」を書きました。

世界史を見ると、文明は一神教の国が牽引してきた、しかし結局、戦争しかやってこなかったじゃないか、野蛮だと思われてきたアニミズム・多神教(八百万の神々)の国は良く見ると独自の文化を持っている、少なくとも戦後はそうしたアニミズムの国の考え方も含めた多様な価値観の時代だ、というのです。

パラオを統治した国の中で日本以外は、すべて一神教です。
パラオは、独立直前までアメリカに統治されキリスト教徒が多いのですが、国としてのDNAはアニミズムだと考えられます。

今もパラオが親日国である理由の深淵は、ここにあるのではないでしょうか。
その中で唯一、「一神教」の国ではない、パラオと同じ風土・宗教を持つ国が日本でした。

もちろん世界一の親日国といわれる理由は、統治時代の日本の政治、独立後のODA支援など様々あるでしょう。
しかし理由の背景、深い部分に「アニミズム」の国同士の親和性があったのではないでしょうか。

日本とパラオの歴史、私たちは両国の友情の歴史を忘れてはならないのです。

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