2016.02.15 歴史に学ぶシリーズ

【一気読み】日本人なら絶対に知っておくべき杉原千畝とその生涯とは?【まとめ】

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「日本のシンドラー」杉原千畝を知っていますか?その生涯とは?

あのハリウッド映画界の巨匠スティーブン・スピルバーグが監督し、アカデミー賞で7部門を受賞した不朽の名作「シンドラーのリスト」。

物語のモデルとなったオスカー・シンドラーは、ドイツ人の実業家でありながら1200人ものユダヤ人をガス室送りから助けたとされていますが、実は日本にはそれよりはるかに多くのユダヤ人の命を救った一人の外交官がいたことをご存じですか?

彼の名は『杉原千畝』

杉原千畝

なんとなく聞いたことがある人も、まったく知らない人も、これを読めば杉原千畝のすべてが分かります!!

唐沢寿明さん主演映画『杉原千畝 スギハラチウネ』が絶賛公開中ですが、まだご覧になっていない方には鑑賞前の予習に、すでに鑑賞された方にはより理解を深めていただくのにもオススメですよ。

さあ、これを読み終わるころには、あなたは杉原千畝について誰かに話したくて話したくて仕方なくなること間違いなし!

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(1)外交官を目指すまで

杉原千畝が、のちに「命のビザ」と呼ばれる日本通行ビザを発行し、6000人ものユダヤ人を救ったのは40歳のときでした。

彼が外交官となり、「日本のシンドラー」と呼ばれるようになるまでの道のりは、一体どのようなものだったのでしょうか?

小学校のころから成績優秀で、もともとは医師になることを期待されていた杉原ですが、大学では両親の意に反して英語を学び、外務省の官費留学生としてハルビンに派遣されました。

そこでロシア語を学び、満洲国外交部に所属すると、彼の才能を国内外に認めさせ、日本に外交上の大勝利をもたらした「ある大仕事」を任されることになります。

しかし、日本外交きっての「ロシア通」という評価を得てまもなく、杉原は満洲国外交部を退官します。

その背景にあった関東軍との軋轢とは?

そして「ロシア問題のエキスパート」との名声を得たがために、杉原のキャリアを邪魔したものとは?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(1)外交官を目指すまで

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(2)シンドラーとは?

日本のシンドラーとして知られる杉原千畝ですが、そもそも名前の由来となったシンドラーとはどのような人物なのでしょうか?

モデルとなったのはドイツ人実業家のオスカー・シンドラー。

彼は自身が経営する工場で必要な人員確保という名目のもと、約1200人ものユダヤ人をガス室送りから救いました。

意外に思うかもしれませんが、実はシンドラーはれっきとしたナチス党員だったのです。

そんなシンドラーに、党の方針に反してユダヤ人の救出を決心させた出来事とは一体何だったのでしょうか?

彼が絶滅収容所送りからユダヤ人たちを救うために作成した従業員リスト、それこそが「シンドラーのリスト」であり、この話はスティーヴン・スピルバーグ監督によって1993年に映画化もされていますが、いま一度ここで復習していきましょう!

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(2)シンドラーとは?

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(3)緊迫の欧州へ

ついに杉原は「命のビザ」発給の舞台リトアニアに赴任されます。

時は第二次世界大戦開戦を直前にひかえた1939年。

緊迫の度合いを深めるヨーロッパで、彼はいかにして6000人ものユダヤ人たちを救うことができたのでしょうか?

当時の日本は、友好国であるはずのドイツが、共通の敵国であったソ連と「独ソ不可侵条約」を締結したことで、まさに大混乱に陥っていました。

そんな中、日本人など一人もいなかった東欧の小国に、なぜ杉原は送り込まれたのでしょうか?

彼に与えられた最大の任務とは?

そして杉原一家の生活に忍び寄るドイツの暗い影とは?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(3)緊迫の欧州へ

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(4)杉原の苦悩

ヨーロッパ全土がナチスの脅威に飲み込まれる中、迫害され逃げ場を失うユダヤ人にとって、最後の望みの綱が「命のビザ」といわれる日本通過ビザであり、このビザを取得し第三国に逃げる以外に生き残る方法はありませんでした。

彼らの運命は文字通り杉原の双肩にかかっていたのです。

杉原は急いで外務省本省にかけ合いますが、日独伊三国同盟の締結を間近に控えた本国からは、むやみにドイツを刺激したくないとの国内の政治事情もあり、ビザ発給の許可はおりませんでした。

戦時下という緊迫した状況のもと、日本から遠く離れた異国の地で無断で大量のビザを発給すれば、自分はもちろんのこと家族の身も危険がおよぶ可能性もありました。

しかしながら、命からがらリトアニアまでたどり着き、ビザの発給を懇願するユダヤ人たちを見捨てることもできず、ユダヤ人の人命救助、かたや外交官として本国の指示に従うべきとの判断の狭間に立たされ、迷い、悩んだ杉原が出した答えとは?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(4)杉原の苦悩

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(5)杉原の決断

もともと杉原がリトアニアに赴任した目的は情報収集のためであり、ユダヤ人が殺到してくる事態はまったくの想定外でした。

このような外交上の緊急事態では、本国に指示をあおぐのは当たり前のことであり、杉原が外務省からの指示に従いビザの発給を断ったからといって、それは誰からも決して責められるものではありませんでした。

しかし、遠く離れた極東の地にいる者には分からない、一刻を争うようなひっ迫した状況を肌で感じ、必死で助けを求めるユダヤ人たちを目の前にした杉原は、家族の理解と後押しもあり、外交官としての自分の立場や外務省の指示よりも、人間としてなすべきことを優先させるのでした。

ついに杉原は独断で「命のビザ」発給を決断します。

命のビザ

いよいよ「日本のシンドラー」によるユダヤ人救出劇のスタート!!

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(5)杉原の決断

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(6)領事館閉鎖とユダヤ人の運命

カウナスの領事館が閉鎖され、外務省本省からのベルリンへの移動命令がいよいよ無視できなくなるギリギリのタイミングまで、寝る間も惜しんで必死に続けられた杉原によるビザの発給作業でしたが、その数はすべてのユダヤ人を助けるには、まだまだはるかに遠く及びませんでした。

杉原たちがベルリンへ去った後、逃げ遅れた多くのユダヤ人に迫るナチスの魔の手。

恐怖の移動殺戮部隊「アインザッツグルッペン」とは?

一方、運良く「命のビザ」を手に入れたユダヤ人も、そのすべてが無事に目的地にたどり着けたわけではありませんでした。

脱出のための唯一の移動手段「シベリア鉄道」をめぐるソ連の容赦ない要求。

着の身着のまま逃げてきた彼らが直面した困難とは?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(6)領事館閉鎖とユダヤ人の運命

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(7)リトアニアにおけるホロコースト

ユダヤ人は、なぜ差別され、迫害されるのか?

紀元前から続くユダヤ人の受難の歴史。

なぜ、多数のユダヤ人が虐殺されてきたのか?

ユダヤ人の受難はいつまで続くのか?

 

杉原が去った後のリトアニアで繰り広げられたホロコースト。

およそ21万人いたとされるユダヤ人のうち19万人以上が虐殺の犠牲となり、そのほとんどが1941年6月から12月の半年間で殺害されました。

犠牲者にはユダヤ人以外の者も含まれますが、短期間にこれほど多くの命が失われた例はリトアニア史上類を見ません。

実は、リトアニア においてユダヤ人の大虐殺を行ったのはナチスだけではなかったのです。

この残虐な行為に加担した意外な人物とは?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(7)リトアニアにおけるホロコースト

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(8)杉原の次なる舞台

ベルリンへ向かう列車の出発を待つホームで、助けを求めて追いすがるユダヤ人たちに断腸の思いで伝えた別れ。

「もっと多くの人を救えたのではないか…」

やり場のない感情を抱え、リトアニアを後にした杉原を待っていた運命とは?

 

リトアニアを退去した杉原は、プラハに続きケーニヒスベルクに赴任。

しかし、このケーニヒスベルクでは、亡命ポーランド政府による全ヨーロッパ規模の諜報ネットワークの構築に関係したとして、即刻退去を命じられました。

日本とポーランド、名目上は敵国である両国の間にある知られざる関係とは?

なぜ杉原は亡命ポーランド政府に協力したのでしょうか?

そして杉原を「命のビザ」発給へと突き動かしたものは何だったのでしょうか?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(8)杉原の次なる舞台

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(9)杉原が繋いだ命のバトン

杉原が発行した「命のビザ」を手に入れたユダヤ人難民たちは、シベリア鉄道でおよそ2週間かけて極東のウラジオストクへたどり着きました。

しかし、彼らが無事に第三国まで脱出するまでには、さらに多くの人の協力が必要でした。

リトアニアの杉原千畝から渡された命のバトンは、ウラジオストク総領事代理の根井三郎を経由して、ジャパンツーリストビューロの大迫辰雄へとつながり、ユダヤ教学者の小辻節三へと届けられました。

ユダヤ人たちが無事に日本にたどり着くためにはどのような助けがあったのでしょうか?

迫害され、傷ついたユダヤ人たちが日本で受けた手厚いもてなしとは?

杉原から始まったユダヤ人を救出する命のリレーは、どのように引き継がれたのでしょうか?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(9)杉原が繋いだ命のバトン

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(10)上海に殺到するユダヤ人

舞台は「魔都上海」へ!

外灘(バンド)

欧米列強の租界を中心に繁栄を遂げる上海と、その中にあって独自のコミュニティを構築するユダヤ人。

なぜユダヤ人たちは上海に殺到したのでしょうか?

 

杉原の「命のビザ」を手に入れ、やっとの思いで彼の地にたどり着いたユダヤ人たちに容赦なく迫るナチスの魔の手。

同盟国ドイツの意向に反し、ユダヤ人保護を続ける日本に業を煮やしたナチス・ドイツは、上海における残虐非道なホロコースト計画を提案します。

その恐るべき内容とは?

そして、日本政府はその提案に対してどのように返答したのでしょうか?

上海に渡ったユダヤ人たちを待ち受ける運命とは?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(10)上海に殺到するユダヤ人

 

 

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(11)感動の再会

ブカレストで終戦を迎え、収容所を転々とした後にやっとの思いでヨーロッパから帰国した杉原を待っていたのは、外務省内での思わぬ冷遇でした。

外務省きってのロシア通といわれた杉原は、なぜ47歳にして外務省を去ることとなったのでしょうか?

一方、戦争中に様々な形で恩義を受けた人々を探しだしてはお礼をしていたユダヤ人たちでしたが、杉原の発見には実に28年もの歳月を要しました。

世界中にネットワークを持つユダヤ人をしても、なかなか杉原を見つけることが出来なかった最大の理由とは?

やっと見つけ出した杉原との感動の再会、そしてユダヤ人たちが知る「命のビザ」の発給の裏に隠された驚くべき真実とは!?

命のビザでユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(11)感動の再会

 

 

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