2015.05.26 スタッフブログ

赤ワインをめぐるはなし

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「パンはわが肉、ワインはわが血」

ワインはそもそもローマ人が広め、帝国の範疇に入った国々ではワインを奨励したと言われています。

が、その起源は。。。

「ギルガメッシュ叙事詩」には、古代シュメール人たちが、ユーフラテス川のほとりで、赤ワイン、白ワインをつくっていたという記述があります。

つまり、古代エジプトやバビロニアでも盛んにワインがつくられていたそうです。

そして、フェニキア人たちによって「ブドウ栽培やワイン醸造の技術」は地中海を渡り、ギリシャ、ローマに広まりました。

 

ワインの普及に大きな役割を果たしたのはキリスト教です。

「赤ワイン」はキリストが自分の血として使徒に与えたいわれ、キリスト教と共に、特に赤ワインがヨーロッパに勢いよく広がりました。

こうして、僧院の事業としてブドウの栽培、ワイン醸造がせっせと行われるようになりました。

王侯貴族に手厚く保護され、技術の向上がワインの品質向上へつながりました。

いってみれば、当時のキリスト教を信仰する王侯貴族のおかげでワインの普及や品質向上が促進されました。

王侯貴族は文化芸術もとても手厚く保護しました。

下の絵はレオナルド•ダ•ヴィンチがルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた「最後の晩餐」です。

「12人の弟子の中の1人が私を裏切る」とキリストが予言した時の情景で、ワイングラスとパンも描かれています。

Leonardo_da_Vinci_(1452-1519)_-_The_Last_Supper_(1495-1498)

 テーブルの上には、折り目のついたテーブルクロスが広げられ、大皿が3つ、それに取り分け用の小皿と、手洗い用の水を入れた皿(フィンガーボウル)、塩壺と思われる小型の容器、ナイフ(フォークはない)、ワインを入れた小さなグラスなどが置かれている。

剥落のため、細部ははっきりしない部分もあるが、ワイングラスは(ユダの分も含め)13個置かれていることがわかる。

20世紀末に行われた修復の結果、皿の上にあるのは魚料理であることが判明した。

他に、丸型の食べ物と、レモンまたはオレンジと思われる果物(魚の風味をよくするためのものと思われる)が見られる。

(Wikipedia: 最後の晩餐(レオナルド))

 

食文化「肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワイン」

14世紀〜16世紀、ルネッサンス期より芸術も発展し、「ワインは料理との関係」で考えられるようになり、美食が追求されました。

17世紀に入り、コルク栓が開発され、シャンパンが製造されました。

美食最盛期の18世紀、ルイ15世のもと、料理技術が発達し、上流階級の間で美食文化が高まり、「肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワイン」という概念と美食の公式もあらわれました。

ワインと食事が結びつき、今日のようなマリアージュの概念の基礎がつくられました。

シェリーやポート・ワインも、この頃より製造され、上流階級の間で幅広い飲み物を楽しむようになりました。

また、17世紀〜18世紀の植民地政策により、ブドウの苗木が植民地で栽培され、チリ、オーストラリア、アメリカ、アルゼンチンなどでのワインづくりの基盤となりました。

16世紀半ば、キリスト教布教のために来日したポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に初めてワインを紹介したと伝えられています。

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