2015.04.30 パラオ

首都直下地震の迫る日本、親日パラオの「首都移転」に学ぶ国づくり

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世界一の親日といわれるパラオ。

日本が統治をしていた時代があり、日本文化が反映されていることなどが、親日の背景にあります。

 

しかし逆に日本が親日パラオに見習うべきこともありそうです―。

親日パラオの首都移転です。

 

親日パラオは2006年に首都移転を果たし、それまでの実質的な植民地時代から脱却します。

 

「首都移転」を植民地からの離脱・本質的な独立の手法、としたんですね。

 

もちろん国家規模・条件ともに全く異なり、日本の参考にはならない―かもしれません。

 

日本において、これまで検討され、必要性が指摘されながら実現していない首都機能移転。テーマも忘れ去られようとしています。

 

首都直下地震は間違いなく来るでしょうが、抜本的対策は全然、行われていない、と言われます。

 

アベノミクスが進める3本の矢の最大のテーマは規制緩和・構造改革です。

日本の歴史を振り返ると、日本社会の変革はつねに「首都機能移転」により行われてきた、と識者は主張しています。

 

親日パラオの実践を見ることで、改めて「首都機能移転」を考えてみたいと思います。

 

親日パラオ、首都移転で名実ともに独立国へ

 

Palau

 

親日パラオは2006年、それまでコロール(コロール島)にあった首都機能を、マルキョク(バベルダオブ島)へ移転させます。

国会議事堂を建設、行政・立法・司法機能、すべてを移転しました。

 

親日パラオは歴史的に、スペイン、ドイツ、日本、アメリカに統治をされ(実質的な植民地化)、その時代の首都がコロールでしたが、首都移転により、名実ともに独立国家としてスタートした、と考えることもできそうです。

 

親日パラオは人口約2万人。

歴史上の首都であったコロールの人口集積は高かったのですが、新首都がマルキョクへ移り、コロールの人口過密を解消、経済機能も分散化、国民の評価は高い、と言われています。

 

首都移転への道のりは長いものでした。

アメリカ統治時代の1981年、自治政府「パラオ共和国」が発足、発布された憲法に「10年以内に首都移転」が示されました。

 

もともと国土の中心部に首都を置きたい、そして植民地時代の首都を変えたい、という国民の思いがあったようです。首都機能が長かったコロールに中心機能が集中、人口過密が課題でもありました。

 

親日パラオは1994年、アメリカからの独立を果たしますが、前年の1993年、就任した日系二世のクニオ・ナカムラ大統領(父親が三重県出身)が、首都移転諮問委員会を立ち上げ、1998年に国会議事堂建設に着手、2006年、25年間の年月を経て、移転が実現します。

 

親日パラオ、新首都は「非課税地域に指定」

 

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駐日パラオ共和国大使館のミノル・フランシスコ・ゼイヴィエル・ウエキ特命全権大使がインタビューに答えています(国土交通省ホームページ「国会等の移転」2010年から)。

 

大使は首都移転後の変化について―

 

マルキョクは、コロール島との間に橋が架かりましたので旧首都コロールから車で20~30分程度の通勤が可能な場所にあります。ですから、政府機関で働いている人は、実際には旧首都コロールに家を構えていてマルキョクに通勤するというケースが多いです。また、大統領、副大統領、国会議員もコロールから通っている人が多いです。したがって、期待していたほどの人口の移動は起きていません。

 

コロール島とマルキョクのあるバベルダオブ島を結ぶ橋が、日本のODAで建設された日本・パラオ友好の橋だ、ということは別のブログでも触れました。

 

さらに大使の発言では―

 

しかし、具体的な数字は把握していませんが、400人(移転前の人口)と比べればずいぶんマルキョクの人口が増加したことは間違いありません。行政、立法、司法機関全てが移転したので、それに伴って住居をマルキョクに移した人もいくらかはいますし、日中はマルキョクに勤務している人がたくさんいますので、レストラン産業など新しいサービス産業も生まれています。

 

現在親日パラオで人口が一番多いのはコロールで、二番目は空港があるアイライ(バベルダオブ島)、そして三番目がマルキョクです。マルキョク州への道路網は整備され、現代的な下水システムが建設され、国会議事堂と併せて使用されています。商業活動を誘因するため、マルキョク地域を含む議事堂周辺2マイル内は非課税地域に指定されています。

 

と説明しています。

 

「非課税地域に指定」は、なるほど、と思わせられますね。

 

首都移転の評価について大使は―

 

移転の法律が成立したときに、コロールの住民もとても喜びました。国民の大半はコロールに住んでいたのですが、もともとは他の村の出身という人も多く、将来的には他のエリアも経済的に発展をして、自分の出身地も恩恵を受け、いずれ故郷に帰って家を建てるといった絵図を描いたからでしょう。マルキョクにしても、地元が首都になるということで喜んでいます。

 

と語っています。

 

「消滅可能性都市」といった言葉が浮上、地方創出が問われる日本にとり、少なからず参考になる指摘ではないでしょうか。

 

日本史の法則、親日パラオの「首都移転」は参考になるか!?

 

 

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日本史を見て、日本社会を変革するには2つの手段しかない、それは「首都機能移転」と「外圧」だ、と主張したのは作家・堺屋太一氏です。

 

「首都機能移転」について堺屋太一氏は

 

日本の歴史を見ると、すべての時代が首都機能の所在地で語られています。飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして今、東京時代であります。すべての時代が首都機能の場所で呼ばれている。ということは、首都機能が移転すると時代は必ず変わる。逆に、首都機能が移転しない限り時代は変わらなかったということを示しています。

 

(国交省「国会等の移転」ホームページの堺屋太一氏講演録から)

 

遡れば、頼朝が鎌倉に首都を移転して、日本に武士時代をつくりました。明治維新も、江戸から京都へ機能を移転することで進めることができた、というのです。

 

近代工業社会の日本を「知価社会」へ移行させるためには、東京からの「首都機能移転」が必要だというのです。

 

こうした考え方に基づき堺屋氏をはじめ多くの人々が「首都機能移転」を推進しましたが、結果的に実現はしていません。

 

国は、平成4年(1992年)、「国会等の移転に関する法律」を議員立法で制定、平成11年(1999年)には「国会等移転審議会」が候補3地域を答申しました。

しかし平成15年(2003年)に「国会等の移転に関する特別委員会」が、「3地域を絞り込めない」と中間報告、事実上凍結状態にある、といわれています。

 

首都直下地震が迫っている、と言われて久しいのですが、抜本的対策はなされていないのではないでしょうか。

アベノミクスが進める構造改革をさらに進めるには―

 

「首都機能移転」が、こうした対策の一つ、であることは間違いないでしょう。

 

親日パラオから学ぶことはあるのです。

 

※首都機能移転:「国会等の移転に関する法律」に基づく国会等の移転とは、三権(立法・行政・司法)の中枢機能を東京圏外の地域へ移転すること。国会等の移転で移転対象と考えられているのは、国会、国会活動に関連する行政の中枢機能であり、皇居や、経済・文化など現在の首都東京が有する機能をすべて移転しようとするものではありません。いわば、首都東京の機能の一部を移転しようとするもので、首都移転とは異なります。(国交省ホームページから)

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