2015.04.17 スポーツ

オリンピックの野球とソフトボール競技の歴史~vol.1

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まずは野球から。

その歴史は古く、1904年セントルイス大会(アメリカ)で公開競技として初めて実施され、以降8回実施されました。
正式競技となったのは1992年のバルセロナ大会からです。

さあ、競技の歴史を紐解いてみましょう。

1964年東京大会

↑東京オリンピック開会式、昭和天皇の開会宣言が観れます(7:00)。

参加国は2ヶ国だけ!?

そう、日本とアメリカだけでした。
日本はその年の都市対抗を制した社会人野球の日本通運が主体の社会人選抜と、全日本大学選手権を制した駒大が主体の学生選抜の2チーム。
アメリカは大学選抜1チーム。
なんとこの3チームしか出場していません。
日本代表のユニフォームはそれぞれ日通と駒大のユニフォーム。
「JAPAN」ではありませんでした。

野球ファンで満席になった神宮球場

10月11日の神宮球場は、野球ファンで埋まりました。
販売された入場券は3万5275枚。日本における野球人気の高さを物語っています。

どんな試合だった?

第1試合は学生選抜と米国が2-2で引き分け、
2試合目の社会人選抜には、のちに米大リーグ・アスレチックスなどで74勝した米国のエース、チャック・ドブスン投手が立ちはだかり、
0-3で完封負けでした。

野球はこの大会後、オリンピックから一度姿を消すことになります。
そして20年後の1984年のロサンゼルス大会で、再び公開競技として復活するのです。

代表メンバー

日本のメンバーにはそうそうたる顔ぶれが並んでいます。
渡辺泰輔(慶大-南海)、武上四郎(中大-サンケイ)、土井正三(立教大-巨人)、末次民雄(中大-巨人)、竹之内雅史(日通-西鉄)、吉田 昌幸(熊谷組)などなど。
野球のオールドファンは、このメンバー表だけで酒が飲めます(笑)

【1964年東京大会・野球日本代表メンバー】
全日本学生
監督 小林昭仁 駒澤大
コーチ 前田祐吉 慶応大
投手 盛田昌彦 駒澤大
投手 伊藤久敏 駒澤大
投手 木原義隆 法政大
投手 渡辺泰輔 慶応大
捕手 新宅洋志 駒澤大
捕手 佐藤文夫 慶応大
内野手 新谷繁三 駒澤大
内野手 広野功 慶応大
内野手 清水健夫 駒澤大
内野手 武上四郎 中央大
内野手 後藤和昭 駒澤大
内野手 土井正三 立教大
内野手 大下剛史 駒澤大
外野手 竹野吉郎 駒澤大
外野手 太田隆雄 駒澤大 主将
外野手 末次民雄 中央大
外野手 藤田敏彦 駒澤大
外野手 井石礼司 慶応大

全日本社会人
監督 稲葉誠治 日本通運
コーチ 小林巌 日本通運
投手 佐藤昭 日本通運
投手 田中章 日本通運
投手 近藤重雄 日本コロムビア
投手 清沢忠彦 住友金属
捕手 荒井正孝 日本通運
捕手 広瀬幸司 日本石油
内野手 村木博 日本通運
内野手 竜山庸道 日本通運
内野手 吉田昌幸 熊谷組
内野手 竹之内雅史 日本通運
内野手 田浦正昭 日本鋼管
内野手 近藤良輔 日本通運 主将
内野手 宮脇由明 鐘化カネカロン
外野手 武田弘 日本通運
外野手 小堀修司 日本通運
外野手 佐藤鉦司 日本鋼管
外野手 戸塚博 日本通運
外野手 枝松道雄 日本石油

マメ知識

この試合の球審、山本英一郎氏は、後に日本野球連盟会長、国際野球連盟副会長を務めるなどアマチュア野球の要職を歴任。2006年に87歳で逝去されましたが、野球のオリンピック正式競技採用に向けて大変尽力された方です。1997年、野球殿堂入り。
山本英一郎

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