2015.09.04 杉原千畝

ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(5)杉原の決断

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杉原千畝によるユダヤ人救出劇!ついに「命のビザ」発給へ

「命からがらナチスの迫害から逃げてきたユダヤ人たちの、助けを求めて差し出す手を振り払うことなど私には出来ない」

本国からビザ発給の許可が下りぬまま、ついに杉原千畝による職を賭したユダヤ人救出劇が始まる!!

 

 

杉原、「命のビザ」発給にむけた交渉

「命のビザ」発給に先立ち、まず杉原はソビエト総領事館とあらかじめ交渉を行い、リトアニアを脱出したユダヤ人たちがソ連国内を無事に通過できるよう了解を取り付けた。

ソ連の通過許可がおりなければ、いくら日本がビザを発給したところで元も子もなくなるからだ。

 

そして外務省との電報による交渉が始まる。

杉原の外務省への要請の骨子はおよそ次の通りであった。

1.人道上どうしても拒否できない

2.パスポート以外でも形式にこだわることなく、領事が最適と認めたものでよい

3.通過ビザの性質を失わないため、ソ連横断日数20日、日本滞在日数30日の合計50日間を申請する

 

しかしながら、当時日本政府は日独伊三国同盟締結を推進中で、外務省はドイツを刺激するようなことはすべきではないと判断し、杉原の要請を拒否。

当時の外務大臣は就任したばかりの松岡洋右であった。

Yōsuke_Matsuoka

ここに当時の電報の一部を引用する。

1940年8月16日
松岡外務大臣より在カウナス杉原領事代理宛電報第22号
電送第27465號
昭和15年8月16日 後8時00分
宛 在カウナス杉原領事代理
發 松岡大臣
件 避難民ノ取扱方ニ關スル件
第二二號
最近貴館査證ノ本邦経由米加行「リスアニア」人中携帯金僅少ノ為又ハ行先國ノ入國手續未濟ノ為本邦上陸ヲ許可スルヲ得ス之カ処置方ニ困リ居ル事例アルニ付此際避難民ト看傲サレ得ベキ者ニ対シテハ行先國ノ入國手續ヲ完了シ居リ且旅費及本邦滞在費等ノ相當ノ携帯金ヲ有スルニアラサレハ通過査證ヲ與ヘサル様御取計アリタシ
【現代語訳】
最近カウナス領事館発行している日本経由アメリカ行きのリトアニア人へのビザは、十分な旅費を持っていなかったりアメリカへの入国手続きが済んでいないものが多く、日本への上陸許可を出すかどうかで外務省は扱いに大変困っている。そのため避難民にビザを発行するときにはアメリカへの入国手続きが済んでいることを確認し、日本での滞在費を含めた十分な旅費を持っていることを確認したうえでビザを発行するようにされたし。

 

1940年9月3日
松岡外務大臣より在カウナス杉原領事代理宛電報第24号
電送第29345號
昭和15年9月3日 後5時50分
宛 在カウナス杉原領事代理
發 松岡大臣
件 避難民ノ取扱方二關スルル件
第二四號
貴電第六七號ニ關シ船会社カ帝國領事ノ通過査證ヲ有スル者ノ乗船ヲ浦潮ニ於テ蘇官憲ノ命令ニ反シテ拒絶スルコトハ事実不可能ナルノミテラス右ハ我方査證ノ信用ヲ害スルモノナリ現ニ貴電ノ如キ取扱ヲ為シタル避難民ノ後始末ニ窮シ居ル実状ナルニ付以後ハ往電第二二號ノ通厳重御取扱アリタシ
【現代語訳】
船会社が日本のビザを持った人の乗船をソ連警察の命令に背いてまで拒否することは事実上不可能であり、さらにこのようなビザを発行することは日本のビザの信用性を損なうものである。外務省としてはカウナス領事が発行したビザによる避難民の扱いに大変困っている。今後は先日の電信の通り、ビザ発行については厳重な審査をして頂きたい。

 

日本の外務省としては、むやみにドイツを刺激する事態は避けたという思いもあり、必要条件に合致しない非合法難民へのビザ発給を拒否したのである。

 

ちなみに、松岡は世界をそれぞれ「指導国家」が指導する4つのブロック構造(アメリカ、ロシア、西欧、東亜)に分けるべきと考えており、日本・中国・満州国を中核とする東亜ブロック、つまり大東亜共栄圏の完成を目指すことを唱えていた。

松岡のこの持論は世界各国がブロックごとに分けられることでナショナリズムを超越し、やがて世界国家に至るという考えに基づいており、この構想を実現させるためには、各ブロックを形成する他の指導国家と協調する必要があると考えていた。

当時ヨーロッパはドイツの軍事力に席巻されており、松岡は遠からず西欧ブロックがドイツの指導の下形成されるであろうと考え、日独伊三国同盟の締結に邁進。

当初はソ連を加えた日独伊ソ四カ国同盟を構想しており、これが実現すればアメリカに脅威を与え、西欧や東亜ブロックへの介入を防ぐことができると考えていた。

日独伊三国同盟は1940年(昭和15年)9月27日に成立したが、その後の独ソ関係は急速に悪化し、四カ国同盟の構想はもろくも崩れ去った。

 

 

杉原によるユダヤ人救出の「命のビザ」

外交上の緊急事態では国の指示を遵守するのは当然であり、外交官として杉原が本国からの指示に従ったからといって、それは決して責められるものではなかった。

しかし、遠く離れた極東の地にいる者には分かり得ない逼迫した状況を肌で感じ、必死で助けを求めるユダヤ人たちを目の前にした杉原は、家族の理解と後押しもあり、外交官としての自分の立場や外務省の指示よりも、人間としてなすべきことを優先させるのだった。

「幸子、私は外務省に背いて、領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」

「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけれど、そうしてください。」

私の心も夫とひとつでした。

大勢の命が私たちにかかっているのですから。

夫は外務省を辞めさせられることも覚悟していました。

「いざとなればロシア語で食べていくぐらいはできるだろう」とつぶやくように言った夫の言葉には、やはりぬぐい切れない不安が感じられました。

「大丈夫だよ。ナチスに問題にされるとしても、家族にまでは手は出さないだろう」

それだけの覚悟がなければできないことでした。

(杉原幸子著「六千人の命のビザ」より)

 

1940年(昭和15年)7月29日の朝、カウナスの日本領事館の扉は門の前に立つ全てのユダヤ人のために開かれた。

カナウス領事館前-2

夫が表に出て、鉄柵越しに「ビザを発行する」と告げた時、人々の表情には電気が走ったような衝撃がうかがえました。

一瞬の沈黙と、その後のどよめき。

抱き合ってキスし合う姿、天に向かって手を広げ感謝の祈りを捧げる人、子供を抱き上げて喜びを押さえきれない母親。

窓から見ている私にも、その喜びが伝わってきました。

(杉原幸子著「六千人の命のビザ」より)

 

いよいよ「命のビザ」発給作業の始まりである。

杉原はユダヤ人を一人づつ呼び、名前は?行き先は?と質問し、ビザを手書きして行った。

すでに3000人を超すユダヤ人たちが通過ビザの発給を待っていたが、現実的には1時間に10人分をこなすのが限界だった。

「1人でも多くの人を救いたい」その思いから、杉原は朝から夕方遅く手が動かなくなるまで、食事や寝る間も惜しんでひたすらビザを書き続けたが、想定外の大量発給にビザ用紙の在庫も不足となり、在庫が完全に無くなってからは全て手書きで処理せざるを得ず、作業は予想以上に手間と時間のかかるものだった。

 

 

杉原、ユダヤ人のため必死のビザ発給作業

7月29日に発給したビザは121枚。

翌30日には260枚、31日には146枚を発給した。

8月3日、リトアニアがソ連に併合され、14番目の共和国となると、杉原のもとにはソ連政府や本国からも再三の領事館退去命令が届いたが、これを無視して約1ヶ月にわたりまさに寸暇を惜しんでビザを発給し続けた。

命のビザ

本省からのベルリンへの異動命令がいよいよ無視できなくなると、領事館を閉鎖し一家で老舗ホテル「メトロポリス」に移り、そこでもビザの代わりの渡航証明書を発給。

9月5日、ついに杉原一家がリトアニアを去らなければならない時がやってきた。

一家はベルリンに向かう列車に乗り込んだが、ユダヤ人たちはビザの発給を求めて駅のホームに群がり、杉原はこれに応え列車が動きだすギリギリまで車窓から手渡しされたビザを書き続けた。

そして無情にも出発の時間。

「許してください、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています。」

夫は苦しそうに言うと、ホームに立つユダヤ人たちに深ぶかと頭を下げました。

茫然と立ち尽くす人々の顔が、目に焼きついています。

「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」

列車と並んで泣きながら走ってきた人が、私たちの姿が見えなくなるまで何度も叫び続けていました。

(杉原幸子著「六千人の命のビザ」より)

 

 

杉原千畝の「命のビザ」により救われたユダヤ人

この時までに杉原が発給したビザは2139枚。

1家族で1枚のビザでよかったため、記録から漏れている人を合わせると、杉原によって命を救われたユダヤ人はおよそ6000人とも8000人とも言われている。

 

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