2016.03.28 毛沢東

中国共産党の誕生に大きな影響を与えた「五四運動」とは?

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中華民国政府を屈服させた民衆パワーの結集「五四運動」

1919年というのは中国の歴史を語る上で極めて重要な意味を持つ。

この年、北京大学の学生が中心となって行われた反日デモ行動を契機として、「抗日・反帝国主義」を掲げる全国的な規模の大衆運動が起こる。

いわゆる「五四運動」である。

一体何が中国人のナショナリズムを激化させ、反日デモへと向かわせたのか?

事の発端は第一次世界大戦の戦後処理を決定するパリ講和会議での外交的敗北である。

 

屈辱のパリ講和会議 打ち砕かれた中国人民の希望

中国はこの会議に代表団を送り込み、「山東省の旧ドイツ権益の返還」、「対華二十一か条の撤回」、「各国の在華特権を認めた不平等条約の廃止」を要求した。

中国がこのような要求を出した背景には、前年の1918年にアメリカのウィルソン大統領が提唱した「民族自決主義」への期待があったとされる。

「民族自決主義」とは、「それぞれの民族は自らの運命を自ら決するべきであり、他国が他の民族を支配することがあってはならない」という考え方で、パリ講和会議においても議論の原則として扱われたため、列強の植民地支配に苦しむアジア・アフリカ諸国は自分たちの国に対しても寛容な結論が出ると期待したのだ。

ベルサイユ条約の調印

ベルサイユ条約の調印

鏡の間の調印光景

鏡の間の調印光景

しかし、蓋を開けてみればパリ講和会議において独立が認められたのは一部の東欧諸国だけで、アジア・アフリカ諸国は「民族自決主義」の原則の適用外とされ、中国の要求はそのすべてが却下された上に、ベルサイユ条約により山東省権益の日本への継承が国際的に承認されてしまった。

この結果が伝えられると中国民衆は強く反発し、世論は激高。

自国政府の不甲斐なさを「売国行為」と激しく非難するとともに、中国の領土を手放そうとしない日本に対する抗議が強まった。

もともと、当時の中国国内には欧米列強の植民地ともいうべき租界がいくつも存在しており、租界内では治外法権が認められ、列強の艦船が自国民保護の名目のもとに停泊し続けるなど国家は蹂躙され、何よりもメンツを重んじる中国人の自尊心が踏みにじられ続けてきた。

そんな状況を苦々しく思いながらも、為す術なく耐えるしかなかった中国人にとって、自分たちの要求が欧米諸国から完全に無視されたベルサイユ条約の内容は到底承服できるものではなく、積もりに積もった不満が一気に爆発。

 

立ち上がる学生!欧米列強の帝国主義に徹底抗戦せよ!

1919年5月4日、北京大学の学生ら3000人あまりが天安門広場に集まり、パリ講和会議の山東に関する条項の承認を拒否し、日本との交渉にあたった役人を「売国奴」として処罰することを求めて抗議集会を行い、外国公館が多く立ち並ぶ東交民巷に向かってデモ行進を行った。

デモ行進する北京大学の学生

デモ行進する北京大学の学生

デモ隊は「対華二十一か条」を受け入れた時の責任者である交通総長の曹汝霖の自宅を襲撃して放火したり、たまたま居合わせた駐日公使の章宗祥を暴行して重傷を負わせるなど暴徒化するが、亡国の危機と反帝国主義を訴える学生たちの主張は人々の共感を得て、瞬く間に全国に拡大。

北京、上海、天津、南京などの主要都市で学生の授業ボイコット、大規模な市民集会、日本商品の購買拒否などの反日運動が次々と巻き起こった。

これに対し政府は学生を多数逮捕するなどして事態の鎮静化を図るが、このことがかえって国民の怒りに油を注ぐことになり、学生・商人・労働者の3者連合によるスト(三罷闘争)が全国150あまりの都市で展開されるなど、運動をますます拡大させ勢いづかせる結果となった。

そして6月10日、ついに国民の要求に屈する形で「売国奴」とされた曹汝霖(交通総長・二十一か条調印時の外交次長)、陸宗輿(幣制局総裁・二十一か条調印時の駐日公使)、章宗祥(駐日公使)の3人は罷免され、中華民国政府はベルサイユ条約調印を拒否せざるを得ないところまで追い込まれた。

こうして「五四運動」は民衆の勝利のうちに終結。

欧米列強の帝国主義に対し民衆の力が有効である、民衆の力を合わせれば政府をも屈服させることができるということを証明したことは、中国の革命家たちに衝撃をもって受け止められ、その後の活動に非常に大きな影響を与えた。

 

この後、民衆のパワーの結集ともいうべき「五四運動」は、孫文による新たな中国国民党の組織化と中国共産党の出現、そして民族の独立と統一を守るためにこの二大勢力が協力し合った第一次国共合作の成立と、軍閥政権の打倒へと展開していくのだった・・・・

 

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