2016.03.04 歴史に学ぶシリーズ

中国共産党最大のタブー!反日プロパガンダの背景にある中国人も知らない「天安門事件」とは?

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隠蔽され続ける中国共産党の負の遺産「天安門事件」

中国共産党にとっての最大のタブーでありトラウマといえば、1989年に起こった「天安門事件」である。

天安門広場

天安門広場

事件の引き金となった中国共産党前総書記胡耀邦(コ ヨウホウ)の死。

政治改革に積極的で親日家としても知られる胡耀邦は、中国の民主化を求める学生運動などにも理解を示していたため、共産党内の保守派と激しく対立していた。

民主化を認めるということは、共産党による一党独裁体制を否定することにつながるからだ。

 

結局、権力闘争に敗れた胡耀邦は失脚し、党総書記を辞任。

最後までその功績と名誉を回復できないまま1989年4月15日にこの世を去った。

しかし、汚職とは無縁の清廉潔白な人物として知られていた胡耀邦の死を悼む声は多く、中国の民主化にも積極的であったことから、彼が亡くなった翌日から北京市内で学生たちによる追悼集会が開かれるようになった。

 

当初、集会の規模はごく小規模であったが、次第に人数が増え、4月21日の夜には10万人を超す学生や市民が天安門広場において民主化を求めるデモを行うなど、その規模は加速度的に拡大していった。

ただし、この時点ではあくまでも政府との対話を求めた平和的なデモであった。

 

ところが、4月26日に政府が中国共産党の機関紙である人民日報に掲載した社説により状況が一変。

『旗幟鮮明に動乱に反対せよ』

胡耀邦を追悼するために全国で起こっている学生たちの集会を「ごく少数の人間が下心を持ち」、「学生を利用して混乱を作り出し」、「党と国家指導者を攻撃し」、「公然と憲法に違反し、共産党の指導と社会主義制度に反対するもの」と断じ、「断固として反対しなければならない」と呼びかけたのだ。

ただ「民主化の声をあげたい」と切望した学生たちの平和的なデモは、この社説により国家への動乱だと決めつけられてしまい、これにより政府と学生の対立関係が決定的となった。

民主化を求める声を抑え込む目的で掲載された社説は、結果として共産党指導部の思惑から大きく外れ、一旦は沈静しかかっていた運動を再び勢いづかせ、一般市民からの支持をも集める要因となったのだ。

 

天安門の悲劇!戦車に踏みにじられた民主化の思い

その後もデモ隊の規模は拡大の一途をたどり、ついには首都機能を麻痺させるまでに至ったため、もはや武力介入以外には解決の術がないと判断した中国共産党指導部は、およそ20万人の人民解放軍を動員することを決定。

1989年6月4日未明、装甲車を含む完全武装された部隊が天安門広場を中心に投入され、自由と民主化を求める学生らに向けて無差別発砲を開始したのだ。

この武力弾圧による死傷者数は、当局発表によれば319人だが、実数はそれをはるかに上回るとされ、推定で2千人から1万人ともいわれている。

この運動に関わった学生たちは次々と逮捕され、中国を正しく導いていくべき知識人や指導者の多くが中国共産党に失望して海外へ流出した。

かの毛沢東が「人民のための軍隊」と称した人民解放軍が、武器を持たない一般市民に銃口を向け、民主化を求める人々を次々と装甲車で轢き殺していく映像は世界中に配信され、大きな衝撃を与えた。

国民の民主化要求を武力によって鎮圧した中国に対して、世界中から非難の声が上がったが、中国国内では徹底した報道管制が敷かれたため、25年以上経過した現在に至るまで国民には一切の真相が知らされないままになっている。

この事件の後に学校教育を受けた世代は「天安門事件」についてほとんど何も知らず、たとえ知っていたとしても「暴徒が人民解放軍を襲ったための自衛行為だった」程度の知識しかなく、海外に出て初めて事実を知るという傾向にあるという。

 

「反日プロパガンダ」は目くらまし!?江沢民による反日教育はこうして始まった!

天安門事件における中国の残虐行為には世界中から非難が集中し、欧米諸国はすぐさま経済制裁を発動。

中国への経済援助や貿易取引、直接投資、技術供与、軍事および人的交流など多方面にわたる制裁を行った。

そんな国際的な対中制裁が続く中、日本は事件の翌年1990年には中国に対するODA(政府開発援助)を再開し、国際社会からは制裁の効果を弱める深刻な背信行為として非難を浴びた。

そこまでして中国を助けた日本に対して、中国が何をしたか?

「恩を仇で返す」の言葉通り、いち早く国際社会への復帰を可能にした日本への恩を忘れ、経済援助を受ける裏で国内で進めていたのが反日教育である。

歴史を直視することを恐れ、天安門事件そのものを隠蔽した中国共産党は、二度と再び民主化を求める声が上がらないようにするため、「反日プロパガンダ」を “目くらまし”に利用したのだ。

 

中国における反日教育を一気にエスカレートさせた人物といえば、鄧小平引退後の中国の最高指導者であり、1993年から2003年まで国家主席の座に就いていた江沢民である。

江沢民

江沢民

江沢民政権の対日政策は一貫して反日・強硬路線であった。

1994年に発表された「愛国主義教育実施要綱」により、幼稚園から大学までの全教育課程で徹底した反日教育が始まり、「日中戦争の犠牲者3500万人」や「南京大虐殺30万人」などの虚偽の歴史が広く国民に刷り込まれていくこととなった。

このような反日政策を打ち出した背景には、ベルリンの壁崩壊やソビエト崩壊など世界的に次々と共産主義国家が無くなっていく中、最後の共産主義大国である中国の崩壊を回避するため日本を利用したいとする思惑があったとされる。日本という人民共通の敵を作ることで求心力を維持しようとしてきたのだ。

学校において反日の思想教育を徹底した上、抗日映画やドラマなどを繰り返し放映するなどして、中国共産党による統治の正統性を再確認させ、中国人民を守ってくれるのは中国共産党だけだと教え込むことで、高まる国民の不満と民主化の機運を反らしたのだ。

つまり、中国における反日は単なる感情ではなく政治そのものなのだ。

それゆえ今後も日本は国民感情をコントロールするための“目くらまし”に利用され続け、中国における反日が止むことはないだろう。

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