2016.04.05 スポーツ

2022ワールドカップ開催地奪取へ!「2002年日韓共催」の悪夢はなぜ起きたのか?

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決定間近だったワールドカップ日本単独開催

『2002年はアジアで。』

FIFA会長のこの言葉から始まった日本へのワールドカップ招致活動。

日韓ワールドカップの後は、ドイツ、南アフリカ、ブラジルといずれも単独開催であり、それ以前も単独開催ばかり。

私たちの夢のワールドカップは、なぜ日韓大会に限って共同開催となってしまったのか?

 

 

日本の失敗(その1):ワールドカップ招致にかける熱意で負けた

1930年にスタートしたFIFAワールドカップは、もともと欧州と南北アメリカの二大陸間で交互に開催されていた。

しかし、サッカー新興国にもすそ野を広げるべく、1986年に国際サッカー連盟(FIFA)のジョアン・アヴェランジェ会長(当時)により「初のアジア・アフリカ大陸による開催案」が打ち出された。

ジョアン・アヴェランジェFIFA元会長(修正)

同会長から大会開催の打診を受けた日本サッカー協会は、各国に先駆けて招致に乗り出した。

当時低迷していた日本国内サッカーを活性化させることを目的の一つとして、1989年11月には正式にFIFAに立候補の意思を示し、日本の招致活動がスタートした。

日本はワールドカップを「平和の祭典」としてメッセージ性あるイベントにしようと提案。

トヨタカップ(現:FIFAクラブワールドカップ。世界一のクラブチームを決める大会)などを開催している実績に加え、「平和で安全」、「豊かな経済」、「政治的安定」、「自由と民主主義」、「世界の先進国」などの点を示し、日本で開催する意義を訴えた。

 

一方、「アジア初」というタイトルを日本に取られることが我慢ならないのが、何事においても日本に対して異常な対抗心をむき出しにする韓国。

当初日本は単独開催を目指していたが、韓国が後出しジャンケンとばかりに慌てて手を挙げ、横槍を入れる形で立候補してきたのだ。

日本よりも招致活動で出遅れていた韓国は、形勢逆転を狙って鄭夢準(チョン・モンジュン)韓国サッカー協会会長を先頭に、現代財閥を中心とした韓国国内の政財界がまさに一丸となって招致活動に乗り出し、実現性の不透明さにもかかわらず「南北朝鮮共同開催案」まで持ち出すなどして日本の招致活動に激しく対抗。

鄭夢準韓国サッカー連名会長(修正)

韓国にとって、招致活動で日本に負けるなど絶対に許されないこと。

2002年ワールドカップ開催は大統領公約であり、まさに国是。

もはや単なる「スポーツイベントの招致活動」を超えた政治活動であったのだ

その舞台裏でどのような汚い手段が取られていたのか?

欧州最高のスポーツジャーナリストとして名高いマーティン・ヘーゲレ氏(現バイエルン・ミュンヘン海外担当)が後日談として暴露した記事を一部抜粋する。

…私はこういう汚い手段を徹底的に憎む。ジャーナリストに対する行為で、最も卑劣なものではないか。

アルコールで酩酊させ(女性提供の事実で)相手を脅迫する。

私が長年、アジア・サッカー界で最も権力を持つ人物を国際的メディアで批判し続けてきたのも、ここに理由がある。

鄭夢準はこういうことがあって、私をソウルでのワールドカップ開催式とFIFA総会から閉め出そうとした。

彼はフランツ・ベッケンバウワーとDFB(ドイツサッカー連盟)会長に、私の取材を禁止するように要請する書簡を送った。

しかし、ベッケン・バウワー氏もDFB会長もこれを一蹴。

逆に、鄭夢準に警告を送ったのだが、私としては彼との対決はむしろ望む所でもあった。

『WORLD SOCCER DIGEST』05/08/04発売号寄稿

 

 

一方、日本にとっては、1993年にプロサッカーリーグ(Jリーグ)ができたものの、国内では野球人気にまだまだ圧倒され低迷していた日本サッカー界を活性化させることが招致の目的であり、そもそもワールドカップの開催は国民の総意でもなく、ましてや国是などではまったくなかった。

韓国の国をあげての必死の招致活動と比べ、日本の活動規模ははるかに小さく、熱意においても初めから大きく水をあけられていたのだった。

 

そして1995年2月、立候補予定だったメキシコが辞退したことで、招致活動は文字通り日韓の一騎打ちとなったのだ。

 

 

日本の失敗(その2):FIFA理事会内の政治闘争で負けた

開催国決定は当初、1996年6月1日のFIFA臨時理事会で会長、副会長を含む理事21人の投票によって決定される予定だった。

しかし、次期会長選挙を控えていたFIFA理事会内では、一貫して日本を推していたアヴェランジェ会長一派と、UEFA(欧州サッカー連盟)会長でありFIFA副会長のヨハンソン理事を中心とした欧州の理事たちとの間で派閥争いが激化しており、状況は極めて不透明であった。

FIFA

南米を中心にした会長派はあくまでも日本による単独開催を支持する一方、会長に対立する欧州理事たちは日本と韓国の共同開催を強く推進。

勝敗の帰趨を決するのはアフリカ勢の票の行方であり、この大票田においてどちらがより多くの票を集められるかという点にすべてがかかっていた。

アフリカの理事たちにとっては、世界屈指のビッグクラブを有する欧州の各国サッカーリーグは、自国の選手を受け入れてもらう大切な存在であったため敵に回すわけにはいかず、その多くが欧州理事の案に賛同。

この時点で日韓共催案が多数派(FIFA理事全21名中11名)となった。

開催国を決定する投票日の前日に開かれたパーティーにおいて、会場でアフリカ理事らと歓談した際に自分自身の立場が劣勢であることを悟ったアヴェランジェ会長は、翌日の定例理事会において一転して日韓両国による共同開催案を急きょ自ら提案。満場一致で決定した。

こうして日本によるワールドカップの単独招致の夢は無残にも打ち砕かれたのだった。

万一、日本が共同開催の受け入れを拒否した場合は「韓国の単独開催」か「開催地決定の延長」、「中国での開催」などといった諸案があったという。

 

 

日本の失敗(その3):情報戦において負けた

「趨勢を悟ればアヴェランジェは日本を裏切る」

日本はアヴェランジェ会長の立場が危ういこと、さらには日本にとっては有利とは言いがたい状況であることを、前述のマーティン・ヘーゲレ氏らによりたびたび警告されていた。

にも関わらず、入手していた重要な情報を有益に利用することなく無視し、欧州やアフリカ理事らの動向を掴むこともできず、日本単独開催を支持していたアヴェランジェ会長の言葉のみを最後まで盲信し続けた。

これこそが、日本招致委員会が犯した最大のミスであり、情報戦において完全なる敗北を喫したのであった。

 

 

日本の失敗(その4):政治的圧力があったのか!?

慰安婦問題をこじらせた諸悪の根源として悪名高い「河野談話」で有名な元政治家の河野洋平氏。

河野洋平

なんと、サッカーの2002年W杯においても韓国との共催になるように最初に提案していたのがこの河野氏なのだ。

前述の鄭夢準韓国サッカー協会会長の著書「日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002」によると、「共催についての意見が最初にでたのは、1994年の年末、韓国の韓昇州(ハンスンジュ)外相と日本の河野洋平外相が会談したときのことだった」という。

 

河野外相が話を切り出した。

「ワールドカップの誘致に向けて、これ以上両国の誘致合戦が激化すると、両国の友好関係に害になる。

いっそのこと共催にしてはどうか」

出典元:鄭夢準「日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002」

 

朝日新聞の社説で共催を提唱し、日韓W杯共催の仕掛け人の一人と言われる朝日新聞の若宮啓文も、著書「韓国と日本国」の中で日韓共催の発端は河野外相による提案だと書いている。

 

河野さんのほうからワールドカップ誘致競争を話題にして、「日韓どちらが勝っても大きなしこりが残って大変でしょう。

たとえば、共催というような方法も考えられるのではないですか」と水を向けた

出典元:若宮啓文「韓国と日本国」

 

この河野氏の提案を「すごいアイデア」だと思った若宮氏は、朝日新聞の社説で日韓共催について提案。

韓国の東亜日報の社長、当事の韓日議員連盟の会長ら韓国の政治家・マスコミと連携して日韓共催を現実化させるべく奮闘したという。

 

さらに河野氏は閣僚懇談会でも共催案を擁護。

 

議後の閣僚懇談会でワールドカップ招致問題が話題として取り上げられ、建設省の森喜朗と、防衛庁長官の衛藤征士郎が招致議連の立場から、あらためて単独開催論を主張、外相の河野洋平が日韓関係への悪影響を憂慮して共催案に理解を求めるという場面があった。

出典元:仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

 

一体、なぜ日本国内に単独招致よりも共催を望む人がいたのか?

それについては以下の様な意見もあったというが、「史上最悪」との評価を受けた日韓大会、そして今日の冷え込んだ日韓関係を見ても、これがまったくの的外れであったことは明白である。

 

アジア太平洋地域の連帯意識の推進、平和や安全の確保の面でも大きな副次的効果が期待できる。

出典元:仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

 

韓国との間に竹島問題、従軍慰安婦問題など解決できない多くの問題を抱える日本政府にとって、「ワールドカップ招致」によって新たな火種を抱え込む事態は絶対に避けたいことであり、あわよくばこのスポーツイベントを両国関係改善の手段として利用しようとした関係者の思惑も透けて見える。

こうした様々な敗因が重なり、史上最悪の二ヶ国共催が決定してしまったのだった

 

 


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2022ワールドカップの開催権奪取!カタールから日本へ!!

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