2016.01.29 歴史に学ぶシリーズ

「ホロコースト」の真実とその背景(3)~ユダヤ人大量虐殺の原動力となった「優生思想」とは?~【歴史に学ぶシリーズ】

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ナチスの「ホロコースト」へと突き進む「優生思想」という狂気

「障害の有無や人種等を基準に人の優劣を定め、優秀な者にのみ存在価値を認める」

 

これはナチスの政策に利用された優生思想という考え方である。

この思想は優生学にもとづく「アーリア人至上主義」へと発展し、歴史上最大のユダヤ人迫害「ホロコースト」を引き起こすこととなる。

 

しかし、この「ホロコースト」よりも約2年前にすでにナチス・ドイツによる大量殺戮が行われていたことをご存じだろうか?

 

最初の被害者となったのはユダヤ人ではなく社会的弱者である障がい者。

彼らの抹殺を目論んだ恐るべき「安楽死計画」とは?

 

ナチズムに利用された「優生思想」

「自然淘汰と適者生存」   

 

1859年イギリスの植物学者チャールズ・ダーウィンが、その著書『種の起源』の中で発表した進化論。

これは周辺環境により生物が淘汰される、つまり、より自然に適応した生物のみが生き残り、それが繰り返されることで種が進化すると主張したものある。

 

そしてこの考え方を受け継いだ彼の従弟フランシス・ゴルドンによって「優生学」という言葉が作り出される。

 

「優生学」は、優秀な遺伝形質を多く残し、劣等なものは排除するのが望ましいとする学問であり、その背景にはダーウィンの生存競争による適者生存の理論を拡大解釈し、社会進化における自然淘汰説を導き出そうとする社会ダーウィズムの存在があった。

当時のヨーロッパに旋風を巻き起こしたこの「優生学」を根拠に、様々な社会問題を解決させるためには差別行為も正当化するという「優生思想」が生まれ、この思想はのちに帝国主義者の政策に利用されていくのだった。

 

そして、この「優生思想」の熱心な信奉者だったのがナチス・ドイツの最高指導者アドルフ・ヒトラーである。

 

ヒトラー率いるナチス・ドイツは、民衆を扇動し、ヨーロッパの覇権を目指すために国民一丸となった総動員体制を作り上げた。

国民を厳しく統制したこの政治体制・思想体系を「ナチズム」という。

近代の代表的なファシズム(全体主義)の一つである「ナチズム」は、ドイツ人すなわちアーリア系民族こそが世界で最も優秀な民族であるとする『アーリア人至上主義』という先鋭化したナショナリズムに基づくイデオロギーである。

 

「ナチズム」は近代的な自由主義、民主主義、個人主義、議会政治、基本的人権など、これらすべてを否定。

差別的かつ独善的な優生思想に基づいて人種・民族を格付けし、世界で最も優秀な民族はドイツ人、世界で最も劣等な民族がユダヤ人であるとした。

 

ヒトラーはユダヤ人排撃のためにマスメディアを用いて多くのプロパガンダ(宣伝工作活動)を行い、第一次世界大戦敗戦によりドイツが受けた屈辱や、現在の困窮した生活の原因をすべてユダヤ人に押し付けたのだ。

そして、この人種差別的な「優生思想」が引き起こした最大の悲劇、それが人類史上前例のないユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」なのである。

 

「優生思想」の果てに・・・「生きるに値しない命」と「安楽死計画」

「生きるに値しない命」

 

これはナチス・ドイツの人種政策、特に劣等的な資質の持ち主とされた人々を安楽死させる政策において用いられたフレーズである。

「生きるに値しない命」と分類されたのは、「社会的逸脱者」あるいは「社会的な混乱の原因」とみなされた者たちであり、この安楽死計画により多くの“不適格者”が組織的に殺害された。

「社会的逸脱者」

精神障がい者、 政治的な反体制派、同性愛者、混血者

 

「社会的な混乱の原因」

聖職者、共産主義者、ユダヤ人、ロマ人、エホバの証人信者、非コーカソイド、ポーランド人など様々な社会的グループの人々

 

そもそも「安楽死」とは、助かる見込みがない病人を身体的・精神的苦痛から救うために、延命処置を中止したり、死期を早める処置を施すことである。

 

しかし、ナチス・ドイツにとっての「安楽死」とは、「生きるに値しない命」とみなされた重度の精神、神経、または身体の障がい者を組織的に殺害することを意味しており、ホロコーストの約2年前に実施されたこの安楽死計画は、ナチス・ドイツによる最初の大量殺戮プログラムだった。

Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau. - SS-Foto, 16.02.1934

親衛隊員が撮影した精神障がい者の子ども。
本来、社会によって守られるべき存在の彼らが「安楽死」という名のもとに無差別に殺害された。

 

1933年、ナチス・ドイツが政権を掌握すると、ヒトラーはさっそく「遺伝病子孫予防法」(いわゆる「断種法」)を導入。

これがドイツから障がい者を排除する計画の第一段階である。

この法律によって遺伝的欠陥である「精神薄弱」あるいは「統合失調症」と判断された人は、本人の意思にかかわらず妊娠不能とするための外科手術が強制的に行われ、その結果40万人もの人々が断種された。

 

そして1939年、一人のナチ党員が重度の障害を持つ息子の安楽死をヒトラーに願い出た、いわゆる「クラウナー事件」をきっかけに障がい者の「安楽死計画」が本格化する。

この事件を絶好の機会ととらえたヒトラーは、1939年7月、障がい者を抹殺する権限をナチ党総統官房長フィリップ・ボウラーと自身の主治医であったカール・ブラントに与える秘密命令書を発令。

1939年9月1日付 総統指令

国家長官ボウラーと医師ブラントに、治癒の見込みがないほど病状が重い(不治の病)と判断される場合、その患者に病状に関して厳格に鑑定をした上で、特別に指名した医者に、恩寵の死(安楽死)の措置を許可する権限を与える。

T4作戦の命令書

アドルフ・ヒトラーによる安楽死計画(T4作戦)承認書

 

このアドルフ・ヒトラーによる命令を受け「安楽死計画」が発動した。

なお、この計画は作戦本部事務局の所在地であるベルリンのティーアガルテン通り4番地の頭文字をとって「T4作戦」というコードネームが付けられ、第三帝国秘密事業とされた。

 

現在の常識ではおよそ考えられないことだが、同時のドイツは第一次世界大戦敗北後の大不況で経済が壊滅状態の中、障がい者は何の役にも立たない「お荷物」「穀つぶし」であるとするナチスによるプロパガンダが行き届いており、すでに作戦を実行する素地が整えられていたのである。

先に述べた「クラウナー事件」も、『私は告発する』という安楽死政策の正当化を訴えるプロパガンダ映画の元となっている。

 

T4組織には以下の3つの部門が設置された。

☑財政部門

☑実施部門

☑患者輸送部門

 

このうち、実施部門が全国の病院に調査票を送り、特定の診断名(統合失調症、てんかん、精神薄弱など)のついている患者、ドイツ人またはその血縁以外の者、および5年を超えて施設に入所している者を報告することを義務付けた。

集められた調査票は3人の鑑定人と鑑定責任者に送られ、鑑定人は殺害するか否かを評価し、その結果を「+」「-」の記号で示したのだ。

こうして出来上がった抹殺リストで「+」印をつけられた人は、患者輸送部門によって大型バスに乗せられ安楽死施設へと移送されていった。

このとき使用されたバスは郵政省から譲られたものを使用していたが、カムフラージュのために外観は灰色に塗り替えられ、窓はスリガラスにして中が見えないようにするなど工夫が施されていた。

灰色のバス

灰色のバスで移送される障がい者

 

施設に移送された人々は「水浴びをする」と騙されてシャワー室をあしらったガス室に入れられ、一酸化炭素ガスによって殺害されたのである。

全国に6か所あった専門の安楽死施設は以下の通り。

・ブランデンブルク刑務所跡地
・グラーフェネック精神病
・ハダマー精神病院
・ベルンブルク精神病院
・ハルトハイム精神病院
・ゾンネンシュタイン精神病院

 

障がい者の殺害はブランデンブルクで始まり、グラーフェネック、ゾンネンシュタイン、ハルトハイムの各精神病院にも拡大していった。

これらの施設はそれぞれ自前のガス室を持っており、1941年にはハダマーやベルンブルクの精神病院でも障がい者の殺害が行われるようになった。

 

本来、この安楽死計画は極秘で行われていたものだが、ガス室で殺害された患者を焼却炉で処分する際、病院から煙が立ち上ったことなどから広く世間の知るところとなり、聖職者や著名人から猛反発を浴びることとなった。

国内での「安楽死計画」への批判の高まりを受け、ヒトラーは1941年8月24日に計画の中止を命令。

これをもってT4作戦は公式には終了した。

 

しかし、中止は表向きのものであり、実際にはハダマーのガス室が閉鎖されただけであり、ガス室閉鎖後も殺害方法を薬殺と飢餓殺に変え、障がい者の殺害は続けられた。

また、そのほかの施設では中央の統制されたリストによらない、各医師の判断に基づいたやりたい放題の殺害がおこなわれ、結果としてT4作戦により殺害された人数よりもはるかに多くの犠牲者を出すこととなった。

このT4作戦終了後の障がい者の殺害は「野生化した安楽死」と呼ばれている。

 

この作戦に関わった職員は中止後にいわゆる「絶滅収容所」に配置され、ガス殺や死体焼却方法、施設のカムフラージュなど、T4作戦において培われた彼らの技術がのちの「ホロコースト」に利用された。

 

計画中止後に行われた障がい者の殺害は、「野生化した安楽死」以外にも1943年4月から本格化した障害のある子供を対象とする虐殺作戦や、強制収容所における「14f13作戦」などがある。

「14f13作戦」という作戦名称は、親衛隊の文書規則にちなんでおり、14は強制収容所総監、fは死亡事案、13はT4計画の設備による殺害を意味する。

この作戦は1941年から1年間を中心として行われたT4の拡張版ともいうべき計画であり、強制収容所の「無用の長物」を排除する目的で実施された。

無用の長物とは?

☑治癒不能な病人、身体障がい者(極度の近視を含む)

☑労働能力の欠如

☑反社会的な「精神病質」を持つとされた「反社会的分子」

 

公式のT4作戦による死者は7万人ほどだが、その後の「野生化した安楽死」と「14f13作戦」などで殺害された人数も含めると、犠牲となった障がい者の数は20万人にも上るといわれている。

 

極端な人種差別主義のもとで「優生思想」を曲解し、劣等的な資質を持つとされた人々を「生きるに値しない命」と断じ、「安楽死」という名のもとに大量虐殺する手法は、絶滅収容所でのユダヤ人殺害などに引き継がれ、ナチス・ドイツによる最大の戦争犯罪「ホロコースト」へと帰結するのだった。

 

(希望日本研究所 第4研究室)

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