2016.01.14 北朝鮮

【北朝鮮拉致問題】東亜日報よる横田めぐみさんは北朝鮮の精神病院で殺害されたという報道、私たちは何をすべきか

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横田めぐみさんは北朝鮮で薬物の過剰投与で殺害されていた!?

2014年11月7日、韓国の大手紙、東亜日報は、『北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんが、「劇物や薬物の過剰投与で死亡した」とする「日本政府の極秘調査」の報告書を単独入手した』と報じました。

この報道の情報の真意は定かではありませんが、早く事実関係が明らかにされ、めぐみさんの無事が確かめられることを願わずにいられません。

どのような意図で、「韓国の朝日新聞」とも言われる東亜日報の記事が配信されたか見極める必要があります。

北朝鮮による日本人拉致はテロ行為で、そのテロに便乗するような機関に対しても警戒が必要です。

 

この記事では横田めぐみさんの生存についての韓国や日本の新聞の記事について示し、北朝鮮拉致事件を通して私たち日本人が何ができるかもう一度考えるきっかけになれれば幸いです。

 

日本の国旗

日本の国旗

 

 

2014年11月7日付に配信された東亜日報の報道の内容は以下です。

 

安倍内閣に報告されたというこの報告書には、2014年9月11日に、日本政府の拉致問題対策本部職員が、韓国人の拉致被害者家族会代表とともに、めぐみさんが死亡したとする精神病院・平壌49号予防院の関係者2人に第三国で面会した内容が含まれている。

証言によれば、めぐみさんは「完全隔離病棟」に収容され、30歳だった1994年4月10日に死亡し、15日に付近の山に埋葬された。証言者たちは「精神安定剤、睡眠薬を主に服用し、注射された」とし、睡眠薬のハイミナルなど、薬の種類と服用した量に言及した。

 

証言者たちは脱北者であり、1990年から94年まで平壌49号予防院で働き、めぐみさんを埋葬したといいます。

この記事や証言が真実だとすれば、めぐみさんは13歳(1977年)で北朝鮮に拉致され、22歳(1986年)で強制的に韓国人拉致被害者の金 英男(キム・ヨンナム)と北朝鮮で結婚させられ、23歳(1987年)で娘キム・ウンギョンを出産し、30歳(1994年)の時、「平壌49号予防院」で殺害されたということになります。

遠隔地の山の中にある完全隔離病棟に入れられためぐみさんは、常に監視下にあり面会謝絶で、当報告書の証言によると『夜になると、両親を呼ぶ悲痛な声「オサンオサン(注:お父さん、お母さんを聞き違えたと思われる)」』が聞こえたと言います。

 

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注射

 

そしてめぐみさんは、強い薬を毎日投薬されたそうです。

ディアゼパム(Diazepam)0.002 1錠、1日2~3回、1回2~5錠、内服。患者の精神安定目的。

ハイミナル(Hyminal)0.1 1錠、1日2回、1回2~4錠ずつ内服。強力な睡眠作用がある。5錠以上投与すると20時間の睡眠誘導効果があり、10錠以上投与すると致死量に至る。

アミナジン(Aminazin)錠剤、注射でそれぞれ処方。注射2ml~5ml程度(筋肉注射)。精神安定および睡眠誘導のため。

※「5mlを1日最大8回服用すると40mlになり、致死量の水準だ。体の弱い人は1日10mlでも多量に服用したことになる。ハイミナルは呼吸抑制効果があり危険だ」とする韓国人医師の見解が併記されている。

証言によるとめぐみさんは1994年4月10日に死亡し、通常の遺体には現れない「青い斑点」が全身にあり、それは劇物や過剰な量の薬物を飲んだり注射されたりした時にみられる症状があらわれていました。

そして15日に他の遺体5体と共に、山に穴だけ掘って同じ場所にそのまま埋めた(直葬)そうです。

証言者の一人は、めぐみさんは病院で、夫に「約束通り両親に手紙を送るという話を巡って激しくけんかし、その後、夫がめぐみさんを遠ざけるようになった」と話していたそうです。

誌面で東亜日報は、さらに安倍政権をこのように分析しています。

「めぐみさんを直接埋葬した脱北者の口から、死亡の可能性が提起されたことは、拉致被害者家族と日本国民にメガトン級の衝撃を与えることは明らかだ」

「こうした事実を知りながら隠してきた安倍政権も不信を抱かれるとみられる」

「北朝鮮に利用されたとの批判は免れず、政権発足後、最大の政治的危機を迎えるとみられる」

 

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安倍守首相

東亜日報の記事の証言が事実ならば、めぐみさんが2001年に生存していたという確認情報を配信した産経新聞が間違いであったことになりますが、その逆ならば、東亜日報の記事は捏造で安倍政権への国民の不信感を煽り、転覆させようという意図さえ感じられます。

つまり、日本人拉致事件を利用し、わが国の首相を攻撃し失脚させようとする意図のある情報操作です。

日本では、この東亜日報の記事を受け、菅義偉官房長官が2014年11月7日の記者会見で「信憑性がない」という見方を示し「政府としては様々な情報収集を行っている。具体的な内容については控えたい」と発表しました。

私たち日本人は、北朝鮮による日本人拉致者奪還を決して諦めず、日本政府や政治家、メディアだけに任しておくのではなく、自分たちで平和を守っていかなければなりません。

そのために国民一人一人が何をすべきか、何ができるか徹底的に議論し答えを出すべきです。

産経新聞は2012年8月31日朝刊の1面トップで、横田めぐみさんは「少なくとも2001年時点で生存していたとする情報を、日本政府が入手している」と詳しく報じました。

 

「横田めぐみさん生存説」に強い確信の産経新聞の記事

 

産経新聞の2012年8月31日朝刊の1面トップの記事によると、横田めぐみさんの生存が2001年の時点ですでに確認されていて、北朝鮮の死亡説は間違いと示しています。

この情報は「北朝鮮の内部事情に精通する消息筋」と「2002年11月に脱北した労働党の元工作員」というまったく別の2ルートから入手したとされ、北朝鮮側の「1994年4月に死亡した」とする説明との矛盾点について記事が書かれました。

産経新聞の記事は以下の5点に要約されます。(2012年8月31日朝刊)

1)横田めぐみさんの夫、金英男(キム・ヨンナム)さんは酒乱であった。

2)結婚後、めぐみさんは夫の金英男さんのDV(家庭内暴力)により精神的に衰弱していた。

3)拉致被害者を監督する北朝鮮当局が金英男さんにDVを止めるよう指導したが、改善されなかったため93年3月に二人を離婚させた。

4)1半年後の94年9月にめぐみさんは別の対日工作員の男と再婚し、96年11月に男児を出産。

5)めぐみさんは2001年当時、平壌市龍城区域の招待所で生活していた。

帰国した日本人拉致被害者の証言によると、めぐみさん夫婦は93年頃から別居していたそうです。

上記の情報ではめぐみさん夫婦の離婚はめぐみさんが入院した2か月後の93年3月で、夫婦が別居し始めたことは、北朝鮮拉致被害者で帰国した地村保志さんの証言でもめぐみさんが94年6月に地村夫妻が住む招待所に「1人で引っ越してきた」と明らかにされています。

そしてこの地村保志さんの目撃証言は北朝鮮側と東亜日報主張の「1994年4月10日にめぐみさん死亡説」を覆しています。

離婚(または別居)した金英男さんの発言の「(めぐみさんの)死亡した日に病院に行って、自分の目で確かめた」や「遺骸は病院の裏山に埋葬し、その後に(掘り返して)火葬した」とか、「遺骨の一部を手元に保管していた」行為は、離婚してアカの他人になった前妻のためにそこまで行うのだろうかという疑問が湧きます。

「横田夫妻がめぐみさんをしっかりと抱きしめることができる日まで、全力で取り組んでいく」(安倍晋三総理、2007年7月27日)という「めぐみさん生存説」に基づいた日本政府の一貫した姿勢で日朝交渉に臨むことは正しいということになります。

日本は今まで通り、拉致被害者全員の救出を目指し、広く国際世論に訴えなければなりません。

 

続きは 【北朝鮮拉致問題】横田めぐみさんの子どもと孫、拉致の深い闇 です。

(希望日本研究所 第7研究室)

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