2015.12.25 北朝鮮

北朝鮮、危険なテロ国家と今も続くよど号事件!

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よど号をハイジャックした赤軍派9名を利用した金日成(キム・イルソン)

よど号ハイジャック事件は、1970年におきた日本における最初のハイジャック事件です。

武装した日本国籍の9名の犯人「よど号グループ」が日本航空351便を乗っ取り、北朝鮮に亡命しました。

当時の日本航空は飛行機1機ごとに愛称をつけ、ハイジャック機・日本航空351便の愛称が「よど号」だったので、この事件を「よど号ハイジャック事件」と呼んでいます。

犯人は共産主義者同盟赤軍派グループの学生たちで、リーダーの田宮高麿(27歳)、サブリーダーの小西隆裕(26歳)、岡本武(25歳)、田中義三(22歳)、魚本公博(22歳)、若林盛亮(23歳)、赤木志郎(23歳)、吉田金太郎(20歳)、柴田泰弘(17歳)の計9名で、”よど号赤軍”とも呼ばれていました。(ハイジャック時の年齢)

 

下記の表は北朝鮮に亡命した9名の「よど号グループ」です。

よど号グループメンバー(9名)(よど号グループ/Wikipedia)

1970年に北朝鮮に逃亡した吉田を除くよど号メンバー8名が1977年までに北朝鮮で日本人の妻と結婚しています。

柴田泰弘の妻だった八尾恵の証言によると、日本人妻は多くの場合は強制的な形の結婚で、妻たちは北朝鮮の主体思想を徹底的に洗脳されていたそうです。

また1970年に北朝鮮に逃亡した「よど号グループ」の犯人たちも同様に洗脳されたそうです。

八尾恵はの証言によると、田中の妻は北朝鮮に拉致された有本恵子の教育係で、赤木志郎の妻は有本恵子を拉致するのを手伝だったそうです。

若林盛亮の妻である若林佐喜子は欧州における日本人拉致事件に関与しているとして、国際刑事警察機構より国際指名手配されています。

柴田泰弘が北朝鮮亡命後、日本国内で潜伏活動をしていた時に所持していた旅券は北朝鮮による日本人拉致問題によって拉致された石岡亨の偽造パスポートでした。

柴田泰弘は拉致した石岡亨になりすまし日本国内で潜伏活動を行っていたことになります。

よど号グループやその妻たちは、1970年代、80年代における北朝鮮日本人拉致事件に深く関与し、北朝鮮・金正日の思想によって完全にテロリスト化されたと考えていいでしょう。

当時、金正日の思想に反する者は数多く強制収容所で残虐に殺されていたと言われているので、80年代後半に行方不明になったよど号メンバーの岡本や吉田は殺害された可能性が高いです。

 

よど号ハイジャック事件のタイムライン、羽田空港から北朝鮮へ

1970年3月31日午前7時33分、羽田空港発福岡空港(当時の板付空港)行きの日本航空351便が富士山上空に差し掛かった時に拳銃、爆弾や日本刀などを持った「よど号グループ」にハイジャックされました。

共産主義者同盟赤軍派グループの学生たちの犯人「よど号グループ」は、日本航空351便乗員乗客129人を人質に取り、平壌に向かうよう指示しました。

機長が「よど号は国内便で国外に飛ぶには燃料不足(実際は予備燃料が搭載されていました)」と犯人グループに説き、給油の名目で当初の目的地の板付空港(現福岡空港)に午前8時59分に着陸しました。

自衛隊や警察がよど号を使った国外逃亡を阻止するために空港の滑走路を塞ぐなどのいくつかの工作を行い、離陸できない状況をつくりましたがうまくいかず、機長が交渉し人質の一部(子供・病人・高齢者・女性)の解放を説得しました。

その結果、人質129人中23人は福岡で機を降りました。

そしてよど号は板付空港(現福岡空港)を経由して平壌に向かいましたが、北朝鮮行きを阻止するため、朝鮮半島38度線を越えたところでUターンし平壌国際空港に偽装した韓国のソウル、金浦国際空港に午後3時16分に着陸しました。

北朝鮮軍兵士(朝鮮人民軍の服装をした韓国兵が、「平壌到着歓迎」のプラカードを掲げるなどし偽装工作を行いましたが、犯人たちに見破られ北朝鮮亡命を要求されました。

この後、よど号の副操縦士が犯人グループの隙を見て、機内にいる犯人の数と場所、武器などを書いた紙コップをコクピットの窓から落とし、犯人のおおよその配置が判明した。韓国当局はこの情報を基に特殊部隊による突入を行うことも検討するが、乗客の安全に不安を感じた日本政府の強い要望で断念する。

日本政府はさらに、犯人グループが乗員を解放した場合には、北朝鮮行きを認めるように韓国側に強く申し入れ、韓国側は最終的にこれを受け入れた。なお、よど号には日本人以外の外国籍の乗客としてアメリカ人も2人搭乗しており、北朝鮮に渡った場合、「敵国人」であるアメリカ人が日本人に比べて過酷な扱いを受ける懸念があったため、アメリカ政府が善処を求めている。

(よど号ハイジャック事件/Wikipedia)

数日間の交渉の後、山村運輸政務次官が人質となっている乗客全員の身代わりになることを条件として北朝鮮行きを認めました。

この時、日本政府も韓国政府も人質全員解放を最優先事項と考えていました。

Taken at Osaka International Airport in 1971, YS-11A actually flew regular international flights between Korea and Japan. Author: Japangyro 2 January 2012

Taken at Osaka International Airport in 1971, YS-11A actually flew regular international flights between Korea and Japan. Author: Japangyro
2 January 2012

なぜならば、特に韓国政府は1969年に発生した「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」の乗員乗客がこの時点で解放されていなかったので、よど号をその二の舞として人質の解放がなされないままに北朝鮮に向わせることは、絶対に避けなければならないと判断していました。

「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」の人質は、乗員4人と乗客の7人の計11名は未だ帰還できず、韓国政府は「北朝鮮による拉致被害者」としてこの11名を認定しました。

北朝鮮に強奪された大韓航空機の機体(製造元は日本航空機で大韓航空リースしていた)も日本に返還されておらず、未だ所在不明です。

「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」で味をしめた北朝鮮は、約100名の乗客の拉致も狙っていたのかもしれません。

さて、4月3日、よど号は韓国の金浦国際空港を離陸し、平壌国際空港を目指し北朝鮮の領空に入りました。

機長はこの時点でもなお、まともな地図を持たされておらず、北朝鮮領空に入った後も無線への応答や北朝鮮空軍機によるスクランブル発進もなかった。平壌国際空港を目指して飛行を続けたものの、夕闇が迫ってきたため、機長は戦争中に夜間特攻隊の教官をしていた経験を生かし、肉眼で確認できた小さな滑走路に向かい、午後7時21分に着陸した。この滑走路は平壌郊外にある朝鮮戦争当時に使用されていた美林飛行場(英語版)跡地だったと言う。

対応した北朝鮮側は武装解除を求めたため、犯人グループは武器を置いて機外へ出た。なお、武装解除により機内に残された日本刀・拳銃・爆弾などは、全て玩具や模造品であったことが後に判明した。よど号に乗っていた犯人グループ9人、乗員3人、人質の山村の計13人の身柄は北朝鮮当局によって確保された。

(よど号ハイジャック事件/Wikipedia)

 

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北朝鮮によど号が到着すると、北朝鮮政府は乗員、機体の早期返還は保証できないと手のひらを返した表明をし、日本政府の問題処理のあり方「なすべきことをせず、自分たちに問題を押し付けた」と非難し、乗員と人質の帰国が厳しい状況になりました。

しかしながら翌4月4日北朝鮮は「人道主義的観点からとして機体と乗員の返還を行う」と発表し、よど号グループ9名の亡命も受け入れる姿勢も示しました。

この発表を受け日本政府は北朝鮮に対する謝意を示す談話を発表しました。

そしてよど号は北朝鮮・美林飛行場に飛行機用のバッテリーが無かったため、車両用のバッテリーで機内の充電を行いエンジンを始動させ、機長、副操縦士、航空機関士、山村政務次官の4人を乗せて無事羽田空港に戻りました。

北朝鮮に渡ったよど号グループ9名は、初めだけ「世界革命を進める同志」として北朝鮮政府から歓迎を受けたと言われています。

しかし、すぐに北朝鮮における金日成体制の「主体思想」による徹底的な洗脳教育を「日本革命村(平壌近郊)」で受けさせられました。

 

よど号ハイジャック事件、その後の謎と悲劇

韓国で解放された乗客は日本航空が用意した特別機で日本へ帰国しました。

しかし、米国人乗客2名のうちの1人、神父はこの特別機には搭乗せず、そのまま所在不明となりました。

つまり、解放直後、韓国戒厳令下の金浦空港から姿を消しました。

おそらく、この米国人神父はCIAで米韓当局によって極秘に処理されたのだろうと言われています。

帰国した運輸政務次官・山村新治郎は、内閣総理大臣顕彰を受賞し一躍の英雄となり、春日八郎の歌で「身代わり新治郎」というレコードまで発売され、「男・山村新治郎」のキャッチフレーズで当選を重ね、後に農林水産大臣や運輸大臣も就任しました。

しかし、1992年4月12日、自民党訪朝団長として北朝鮮への訪問を翌日に控える中、精神疾患を患っていたといわれる次女(24歳)により首と胸を出刃包丁で刺され死亡しました。

北朝鮮で、山村は22年ぶりによど号グループ首謀者の田宮高麿と会う予定でした。

田宮高麿の知人でもある高沢皓司ジャーナリストによると、田宮は後年日本人拉致事件解決に努力したいと語っていたそうです。

山村新治郎の訪朝は日本人拉致問題の解決の糸口になると期待されていましたが、山村の死によってその希望は消え、それから3年後に田宮自身も死亡しました。

北朝鮮で田宮に充てがわれた日本人妻、森順子は「欧州における日本人男性拉致事件1980年」の他の日本人妻と共に犯人とされています。

またよど号グループの妻になった者の中には、拉致に近い形で連れてこられた者も2名います。

こういう裏事実を知っていた田宮は、金日成の自己中心的な主体思想と対日工作にも反感を持ち、山村を通して正しいことをしたいと考えたのかもしれません。

1995年、田宮は平壌で病死したと北朝鮮側より発表されましたが、死ぬ前日まで元気だったと言われ、田宮の死も疑惑が残っています。

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山村新治郎の次女の精神疾患の有無も疑惑が残っています。

次女は山村新治郎の選挙をよく手伝い、後援関係者は次女こそが山村新治郎の後継者になると期待していました。

次女は茶道教室にも通っていましたが、誰も次女の精神疾患に気づく者はいなかったそうです。

そしてなぜ山村を刺したのか動機もわからないまま、心身喪失で不起訴となったこの次女は4年後に自殺しました。

もしかしたら、次女は何者かによる「幻覚剤による意識の刷り込み」があったのかもしれません。

オウム真理教では信者に幻覚剤を投与し、幻覚体験を通したマインド・コントロールを行い行動を操っていました。

 

【北朝鮮】よど号事件「日本革命村」の独占映像

北朝鮮・平壌中心から車で約1時間の所にある「日本革命村」は、よど号ハイジャック犯の家族8世帯が生活していました。

革命村周囲には、射撃練習場、格闘技場、研究所、アパートなどがあり、金正日総書記直轄の連絡部56課の指導のもと、家族全体で日々、革命教育が行われていたといいます。

 

日本革命村で20年近く育ったよど号ハイジャック犯の子供20名全員の日本帰国、驚くべきその後については

【北朝鮮で主体教育を受けたよど号ハイジャック犯の子孫が日本の選挙に立候補している事実】で詳しく説明しています。

よど号グループの子供たちが、未だに受けた革命教育を信じ、北朝鮮対日工作秘密工作員で、現在も国内で日本人拉致やテロ国家・北朝鮮のために活動しているテロリストだとしたら恐ろしいことです。

 

北朝鮮日本人拉致問題や核・化学・生物ミサイル兵器開発の現状

北朝鮮はテロ国家で、長年テロリストを育成しており、拉致した日本人を洗脳し、またテロリスト化させ工作活動に使います。

北朝鮮は1970年より、多くの日本人を拉致しました。

【なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのか?その目的とは?「北朝鮮による日本人拉致問題」】

【北朝鮮の元工作員が日本人拉致の事実を証言!テロ国家の実態】

ほとんどの国がテログループとはビジネスをしない中、北朝鮮は外貨獲得のためミサイルの技術を輸出し、その収益で北朝鮮のミサイル開発を続けています。【北朝鮮の核・化学・生物ミサイル兵器開発の現状】
日本と国民の平和と安全のために、テロ国家・北朝鮮に毅然たる態度をもって立ち向かわなければなりません!

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