2015.12.16 歴史に学ぶシリーズ

「ホロコースト」の真実とその背景(1)~ユダヤ人迫害の歴史とナチス台頭までの背景とは?~【歴史に学ぶシリーズ】

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ユダヤ人の悲劇「ホロコースト」まで脈々と続くユダヤ人迫害の歴史とナチスが台頭するまでの流れとは?

 

ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策「ホロコースト」

およそ600万人もの人々が、ただユダヤ人であるという理由だけで迫害され、虐殺された。

 

第二次世界大戦における最大の戦争犯罪へと続くユダヤ人迫害の歴史とは?

そしてなぜユダヤ人絶滅政策を掲げるナチスが台頭することが出来たのか?

 

 

「ホロコースト」につながるユダヤ人迫害の歴史

 

3000年以上続くユダヤ人迫害の歴史。

その始まりは紀元前に遡るほど古く長い。(詳しくはコチラ→今だから知っておきたい!杉原千畝とユダヤ人迫害の理由 6つのポイント

 

そしてイエス・キリストの処刑をきっかけに、キリスト教徒によって「イエスをメシア(救世主)と認めずに殺した、永遠に呪われた民族」として断罪されたことで、ヨーロッパにおけるユダヤ人に対する迫害は決定的となった。

 

もともとキリスト教はユダヤ教から派生した宗教であり、彼ら自身もローマ帝国時代にはさまざまな差別、迫害を受けていた。

 

しかし、313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が公布したミラノ勅令でキリスト教が公認されたことにより、帝国内での信教の自由が保証され、教会の没収財産が返却されるなど、キリスト教徒への長かった迫害に終止符が打たれた。

 

こうしてキリスト教が完全な勝利をおさめた一方、それに反動するようにユダヤ人たちは「キリスト殺し」の罪を背負わされ、ますます迫害にされるようになっていった。

 

中世に入ってもユダヤ人への迫害は続く。

 

とはいえ、中世ヨーロッパにおいてユダヤ人たちは最初から迫害されていたわけではない。11世紀前半までは、キリスト教社会の中で異教徒という立場ながらも大きな軋轢はなく、キリスト教徒と平和的に共存し、農業・商業・職人などさまざまな職業に従事することができていた。

 

しかし11世紀後半になるとその地位は急激に悪化。

 

ユダヤ人たちは土地の所有を禁止されて農業の道を絶たれ、商工業ギルドからも締め出されて商業の道を閉ざされた上、公職からも追放されるなどの迫害に遭い、職業選択の自由を奪われていった。

 

そんなユダヤ人たちに唯一許された職業、それがキリスト教徒からは汚れた職業として忌み嫌われていた利子を取り扱う職業(高利貸しや黄金管理人、両替商など)であり、このことが後に、ユダヤ人は「金に汚い高利貸し」と差別される原因ともなった。

 

被差別民でありながら金融業により莫大な財を成し、裕福になったユダヤ人。

 

これに我慢がならなかったのが、「利子を取ってはいけない」という教えに縛られ、貧しい生活を強いられていたキリスト教徒たちである。

 

ユダヤ人たちが豊かになればなるほど、キリスト教徒からは嫉妬と憎悪の対象と見られ、彼らに対する迫害はますます強まっていったのだ。

 

そして、ユダヤ人たちが再び迫害を受け、近代に至るまで苦難の道を歩むこととなるきっかけとなった出来事、それが「十字軍運動」である。

 

十字軍

第1回十字軍エルサレムの戦い

 

「十字軍運動」とは、11世紀末~13世紀末までのキリスト教世界の膨張運動の一つであり、西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に遠征軍を派遣。
そして、この運動に参加した兵士が胸に十字架の印を付けていたことから、この遠征軍は「十字軍」と呼ばれるようになった。

 

なぜエルサレムがそれほど特別なのか?

 

☑キリスト教徒にとっては…

イエス・キリストが処刑、埋葬された後に復活した場所

☑イスラム教徒にとっては…

預言者ムハンマドが神の啓示を受けた場所

☑ユダヤ教徒にとっては…

その信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた場所

 

以上の理由から、いずれの宗教にとってもエルサレムは特別に神聖な場所であり、「異教徒からの聖地奪還」を目的に始まった十字軍は、キリスト教徒にとっては文字通り「聖戦」だったのだ。

 

一方、ユダヤ人にとっての悲劇は、征伐される「異教徒」はイスラム教徒だけではなく、ユダヤ人も含まれていたことだった。

 

十字軍運動に参加した人々は、ユダヤ人とイスラム教徒は「キリストの敵」であるといい、敵はキリスト教に改宗させるか、剣を取って戦うかしなければならないと訴えたのだ。

 

ユダヤ教とキリスト教はともに旧約聖書を聖典とする同根の宗教であるにも関わらず、ユダヤ人に対する虐殺行為は凄惨を極め、第1回十字軍が聖地エルサレムを占領した際、同地に残っていたユダヤ人はことごとくシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に閉じ込められ、それに火をかけて焼き殺されたと言われている。

十字軍の蛮行

1200年頃にイギリスで描かれ14世紀にスペインで写された写本挿絵(上段はエルサレムのイエスと神殿の破壊、 中段は主の敵によって斬首されるユダヤ人、 下段はエルサレムを血の海にして復讐を遂げる十字軍)

 

そして1096年、20世紀のナチス・ドイツによる大規模なユダヤ人迫害の序幕ともいえる事件が勃発する。

 

この年の夏、ゴットシャルク、フォルクマーなどといった説教師に率いられた約1万人のドイツ人たちが、ライン川周辺のヴォルムスやマインツでユダヤ人の虐殺を行ったのだ。

 

十字軍運動が盛り上がるにつれ、「キリスト教徒vs異教徒」という構図が出来上がり、遠方の敵と戦うより身近な敵と戦うべきとの論調も相まって、ドイツ国内での異教徒であるユダヤ人は目の敵にされ、繰り返し迫害されるようになった。

 

 

そして、中世最後にして最大のユダヤ人迫害、それが14世紀にヨーロッパ全土を襲ったペスト(黒死病)の大流行に端を発したユダヤ人の虐殺と隔離政策である。

 

この時期、ヨーロッパでは少なくとも人口の約3分の1がこのペストの犠牲者になったといわれている。

ペスト

ペストによって死屍累々となった街を描いたヨーロッパの絵画

 

そんな中、ユダヤ人の犠牲者が比較的少なかったことから「ユダヤ人が井戸に毒を盛った」というデマが広がり、彼らに対する迫害に拍車をかけることとなった。

 

ペストの真の原因は、ペスト菌の媒介者であるノミであり、中央アジアからヨーロッパを結ぶ東西の交易が盛んになるにつれ、ヨーロッパに大量のネズミが運び込まれ、そのネズミに付着していたノミによって感染が爆発的に拡大したのだ。

 

しかし、当時は今ほど医学が進んでおらず、病気の原因も分からなかったことから、もともとキリスト教社会において偏見を持たれていたユダヤ人がその「犯人」に仕立てられ、多くのユダヤ人が殺害されるか、ユダヤ人隔離居住区(ゲットー)へ強制隔離させられた。

 

こうしてできたユダヤ人隔離居住区は、そのほとんどが周囲を高い壁に囲まれ、夜になると外部との門が閉じられて自由な出入りが制限された上に、昼でもユダヤ人が居住区の外に出る際にはユダヤ人であることを示す黄色い印を身につけることが強制されるなど、様々な制限が課せられたのだった。

 

ユダヤ人を排斥する動きはこの頃から脈々と続き、20世紀に入りナチス・ドイツのもとで一つの頂点に達することになる。

 

 

歴史上最も有名なユダヤ人迫害「ホロコースト」に至る道のり

 

ユダヤ人の迫害と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは?

 

間違いなく、ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅計画「ホロコースト」だろう。

ビルケナウ収容所

 

「ホロコースト」とは、「焼かれた生け贄」という意味のギリシャ語を語源とする言葉であり、ナチス政権とその協力者による人類史上最悪ともいえるこの大量虐殺は、国家を挙げて組織的に行われ、結果として約600万人ものユダヤ人が犠牲となった。

 

1935年のニュルンベルク法制定から本格化した「ホロコースト」は、最終的にはヨーロッパで生きるすべてのユダヤ人を根絶させることを目標とした「ユダヤ人問題の最終的解決」という恐るべき計画へと発展していくのだった。

 

ニュルンベルク法とは、1935年9月、ナチス・ドイツが制定した二つのユダヤ人排斥政策の立法、「帝国市民法」と「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」の総称であり、ユダヤ人から事実上あらゆる権利を剥奪した法律として悪名高い。

 

また、ニュルンベルク方の制定に伴い、同年11月14日に「ドイツ国公民法暫定施行令」を発令して「ユダヤ人」の規定をより詳しく定義した。

 

「ドイツ国公民法暫定施行令」

4人の祖父母のうち3人以上がユダヤ教共同体に所属している場合→「完全ユダヤ人」(本人の信仰を問わず)

4人の祖父母のうち2人がユダヤ教共同体に所属している場合

  • 同法公布日時点・以降に本人がユダヤ教共同体に所属している者→「完全ユダヤ人」
  • 同法公布日時点・以降にユダヤ人と結婚している者→「完全ユダヤ人」(本人の信仰を問わず)
  • 同法公布日以降に結ばれたドイツ人とユダヤ人の婚姻で生まれた者→「完全ユダヤ人」(本人の信仰を問わず)
  • 1936年7月31日以降にドイツ人とユダヤ人の婚外交渉によって生まれた者→「完全ユダヤ人」(本人の信仰を問わず)
  • 上記のいずれにも該当しない者→「第1級混血」(ドイツ人)

4人の祖父母のうち1人がユダヤ教共同体に所属している者は、「第2級混血」(ドイツ人)

(Wikipediaより)

 

この分類によって「ユダヤ人」とされた者はすべての公民権を失い、ドイツ人との結婚も禁止された。

しかし、これほど一方的な差別を受けながらも、法律自体はユダヤ人たちに比較的落ち着いて受け止められた。

 

その理由としては、ヒトラーが「この法律はユダヤ人に対する最後の権利剥奪である」と明言していたことに加え、そもそもこのとき剥奪された公民権はユダヤ人にとってはすでに失われていたのも同然の権利であって、それが改めて宣言されただけと考えられたからである。

 

しかし、そんなユダヤ人たちの予想は大きく裏切られることとなった。

ニュルンベルク法はさらなる迫害の序章にすぎなかったのだ。

 

この法律制定後、街中の店には「ユダヤ人お断り」の看板が掛けられるようになり、庭園・劇場・プールなど公共の場所への出入りが禁止され、ベンチがドイツ人用とユダヤ人用とに分けられるという差別も受けた。

さらに、ユダヤ人の企業経営禁止、ユダヤ人医師によるユダヤ人以外の診察禁止、ユダヤ人弁護士の活動禁止など、彼らの生活権が次々に否定されていったのだ。

 

そして1938年、ドイツにおけるユダヤ人の立場を大幅に悪化させ、後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなった大事件が起きる。

 

通称「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」と呼ばれる、ドイツの各地で発生した反ユダヤ主義者による暴動である。

 

放火されたシナゴーグ

放火されたシナゴーグ

 

破壊されたシナゴーグ

破壊されたシナゴーグ

 

破壊されたユダヤ人商店

破壊されたユダヤ人商店

 

1938年11月9日夜から10日未明にかけて発生した一連の暴動により、177のシナゴーグと7500のユダヤ人商店や企業が破壊され、襲撃により砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされて水晶のようにキラキラと輝いていたことから「水晶の夜」と呼ばれた。

 

なお、この暴動はナチス政権による「官製暴動」の疑いが持たれており、91人ものユダヤ人が殺害され、約2万6000人が強制収容所に送られた。

 

被害者であるはずのユダヤ人が警察に逮捕され、贖罪金10億マルクを課されるなど、この「水晶の夜」を境にユダヤ人への迫害は一層強化され、反ユダヤ主義のピークともいうべきユダヤ人絶滅政策「ホロコースト」に向かって新たな段階に入っていったのだった。

 

 

反ユダヤ主義を掲げるナチス台頭の背景/第一次世界大戦が与えた影響とは?

 

もともとは第一次世界大戦後に生まれた多数の少数政党の一つに過ぎなかったナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が台頭し、人類史上最悪の大量虐殺「ホロコースト」を行うに至るには、一体どのような背景があったのか?

国家社会主義ドイツ労働者党

 

まず、ナチス台頭までの流れを語る上で切っても切り離せないのが第一次世界大戦である。

 

1914年7月28日から1918年11月11日の4年3ヶ月続いた第一次世界大戦は、欧米の列強が植民地を奪い合い、世界の覇権を競い合うという人類史上初の世界大戦であった。

 

開戦当初、列強の首脳たちは短期決戦で終結させるつもりだった。

しかし、その目論見が崩れて戦争が長期化すると、引くに引けない膠着状態に陥り、各国とも戦闘力を維持すべく国家を挙げた総力戦を仕掛けざるをえなくなった。

 

戦争の形態が高度に技術化され、飛行機・潜水艦・毒ガスなどの新しい武器が出現したこの世界大戦は、もはや一部の職業軍人のみが戦う戦争ではなくなり、一般市民をも巻き込んで広範囲にわたり人的・物的被害を及ぼす戦いとなった。

 

戦争の長期化や戦線の拡大による国民生活への犠牲の増大により、次第に各国で厭戦気分が高まっていく中、ドイツでは1918年11月にドイツ革命が発生し、皇帝ヴィルヘルム2世の退位によりドイツ帝国が崩壊、ワイマール共和国へ移行した。

ヴィルヘルム2世

ヴィルヘルム2世

 

1918年11月11日、ワイマール共和国政府は正式に連合国に降伏し、ヴェルサイユ条約に調印。

これにより4年間にわたって行われ900万人以上の戦死者を出した第一次世界大戦がついに終結する。

 

また、1919年、ドイツでは終戦処理の締めくくりとして「ワイマール憲法」が成立。

この憲法は、ドイツで初めて君主政を廃止し、共和政を規定した憲法であり、男女の普通選挙による議会政治、国民の直接選挙で選ばれる大統領制に加え、世界で最初に労働者の団結権などの社会権の保障を明記。
当時における、世界最先端の民主的な憲法だった。

 

敗戦国となりすべての植民地を失ったドイツを待ち受けていたのは、1320億金マルクという莫大な戦後賠償金だった。

 

イギリスやフランスなどの連合国は戦争に勝ったものの、国土は戦争で甚大な被害を被っており、ドイツが再び強国化することを恐れて復興にかかる費用をすべてドイツに支払わせるべきだと主張。

その結果、このような巨額の賠償金の請求となったのだ。

 

しかし、この金額は当時のドイツにとっては国力をはるかに超えていたため、当然のごとく支払いはしばしば滞った。

 

この支払いの遅延に怒ったのがフランスだった。

 

フランスはドイツがヴェルサイユ条約で義務付けられた賠償金の支払いを履行していないとして、その代わりとばかりにベルギーとともにルール地方に軍隊を進駐させ占領してしまったのだ。いわゆる「ルール占領」である。

 

ルール地方にはヨーロッパ最大の炭鉱であるルール炭田があり、ただでさえ戦争で経済が壊滅的な打撃を受けていたところに、最重要な工業地帯であったこの地域を占領されたことでドイツの生産力は激減。

 

さらに、すでに第一次世界大戦中よりドイツでは戦時国債の乱発によってインフレが進行していたにも関わらず、賠償金を支払うために裏付けのない紙幣を大量増刷したことで、マルクの価値が1兆分の1に下落するという天文学的なハイパーインフレを引き起こした。

 

このハイパーインフレにより、マルクの価値はひと月ごとに暴落。

1923年1月には1ドル=1万7792マルクだったレートが、

7月には1ドル=35万3410マルク

8月には1ドル=462万455マルク

9月には1ドル=9886万マルク

10月には1ドル=252億6020万3000マルク

11月には1ドル=4兆2000億マルクにまで達した。

 

生産が急減した中で新たな紙幣が大量に市場に投入されたことで、バター1ポンドが2兆8,000億マルクになるほど物価が急騰。

買い物の不便を解消するため10兆マルク札や100兆マルク札などの超高額紙幣が発行されたが、もはやその価値はないも同然だった。

 

 

当時、ドイツ国民の多くは、祖国の栄光が第一次世界大戦の敗戦と共和国政府の弱腰外交の「裏切り」によって失われていると感じており、強い憤りを抱えていた。

 

そんな時、将来のナチス政権樹立のきっかけとなる事件が起こる。

 

それが、「ミュンヘン一揆」といわれるワイマール共和国打倒のクーデター未遂事件である。

 

ミュンヘンを中心とするバイエルン州はドイツ国内の右翼の拠点であり、この頃にはナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)はバイエルンだけでも党員3万名を擁し、急激に勢力を増していた。

 

ヒトラーは、第一次世界大戦の英雄ルーデンドルフ将軍を立てることで国防軍の支持を取り付け、クーデターを成功させようと目論んだが、期待していた協力を得られず政権奪取はあえなく失敗、ヒトラーは逮捕される。

 

このクーデター失敗の経験からヒトラーは武力による革命に見切りをつけ、「ナチス党の未来は投票箱の中にある」として、言論・演説・選挙といった民主的手段による政権奪取に軸足を移してゆくことになるのだった。

 

 

反ユダヤ主義を掲げるナチス台頭の最後の決め手/世界大恐慌の衝撃

 

莫大な戦後賠償金を抱え、天文学的ハイパーインフレに陥るなど、戦後のドイツはまさに混沌を極めていたが、それでも持ち前の生産力を活かして経済の立ち直りに努め、1920年代後半には早くも復興の兆しを見せ始めていた。

 

しかし、そんなドイツを更なる悲劇が襲う。

 

1929年10月24日、ニューヨーク市場で株価が大暴落したのをきっかけに、世界的に深刻な長期不況に陥った「世界大恐慌」である。

 

これにより回復しつつあったドイツ経済はふたたびどん底に突き落とされたのだ。

 

一方、アメリカは公共事業により雇用を確保する「ニューディール政策」を取り、イギリスなど植民地を多く持つヨーロッパの国々は、「ブロック経済」という自国と自国の植民地を1つのブロックとして世界経済から隔離し、独自の経済圏を形成することで恐慌を乗り越えることに成功。

 

しかし、これらの政策はいずれも植民地や領土をたくさん持っていればこそ有効な方法であり、持たざる国の経済はさらに悪化していった。

 

そして持たざる国の代表がドイツとイタリアであり、これらの国では情勢を挽回するべく国民は強いリーダーシップを持った人物を待ち望むことになる。

 

そこに現れたのが、ドイツではヒトラー、イタリアではムッソリーニだった。

ムッソリーニ&ヒトラー

 

両国の国民は絶望感と被害者意識を募らせ、ファシズム、ナチズムの運動が勢力を得る下地が醸成されていったのだ。

その頃、ロシアでは当時のヨーロッパの常識と相反する政治体制が生まれつつあった・・・

 

 

→ナチス・ドイツの躍進と権力掌握については次ページに続く

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