2015.04.08 パラオ

世界一の親日国パラオ・ペリリュー島と日本の歴史、知ってますか?

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パラオ・ペリリュー島の国旗って、日本の日の丸がモチーフなの?!

パラオ・ペリリュー島―。

ダイバーには垂涎の的の国・パラオ。人口2万人、国内総生産(GDP)200億円、主力産業は観光。

国旗が日本の日の丸をモチーフにデザインをされた、ともいわれています。
国を構成する200もの島々の中には世界遺産にも登録されたエリアのある、南洋のこの国は、第二次世界大戦の激戦地でもありました。

パラオ・ペリリュー島は大の親日の国。戦争を経ても両国の友情が切れることはなかったのです。

自然豊かな、この島国と、日本の関係を振り返ってみましょう。

パラオ歴史

 

第二次世界大戦では1万人の日本軍がパラオ・ペリリュー島で玉砕!

パラオ・ペリリュー島―。

第一次世界大戦・パリ講和会議(1919年)で、連合国側だった日本は、ドイツの植民地だったパラオを委任統治領とします。日本はそれから31年間、植民地として統治します。

産業振興はもとより、ドイツ統治下では、ほとんど行われていなかったとされる学校・病院、道路などのインフラ整備を推進、1920年代には、首都コロール(当時)を近代的な街並みに変貌させたといわれています。現地人に対する日本語による学校教育も行われました。

しかし第二次世界大戦が始まるとコロールは米国・連合軍にとって重要拠点と位置付けられ、攻撃の対象となりました。
1944年、要衝の地・パラオペリリュー島での戦いは、苛烈を極め、1万人の日本軍がほぼ全滅をしてしまいました。

同島での激戦には逸話が残っています。
日本軍は現地人をいっさい巻き込まなかったというのです。

戦いが終わり帰島した彼らは日本軍の遺体を葬りました。日本人がいつ来ても良いように墓地の清掃などに心掛け、今も墓守を続けていてくれているのです。

パラオ歴史2

 

第一次世界大戦後の日本統治から親日国パラオとの友情は続いています

パラオ・ペリリュー島―。

1947年から米国は親日パラオを信託統治。
47年後の1994年10月、親日国パラオは独立を果たします。

親日国パラオ初代大統領のクニオ・ナカムラ氏は父親が三重県伊勢市出身だそうです。

31年間の日本統治、第二次世界大戦、アメリカ統治を経て、独立した親日国パラオは今もなお世界一の親日の国とされています。
両国の友情の歴史を私たちは忘れてはならないのです。

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