2015.12.03 慰安婦問題

【慰安婦問題】韓国人が嘘をついても平気でいられる理由とその背景にある「徳治主義」という考え方

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『大日本帝国陸軍が20万人もの韓国人女性を強制連行…』なぜ韓国人は平気で嘘をつくのか?儒教国ならではの「徳治主義」という考え方

『韓国人は息を吐くように嘘をつく』

ネット上でもよく見られる表現だ。

しかし、これは決して悪口ではない。

韓国人にとって嘘をつくことは必ずしも「悪いこと」ではなく、そのことへの罪の意識が我われ日本人と比べて極めて希薄なのだ。

なぜか?

それは韓国における倫理観の基礎となっている「徳治主義」という考え方に原因がある。

「徳治主義」とは、「徳のある統治者がその持ち前の徳をもって人民を治めるべきである」という儒教の基本的な考え方であり、韓国では「徳のある正しい人間が上に立つとうまくいく」という思想がすべての国民に浸透している。

 

それゆえに、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったという理屈になり、逆に、悪い結果があれば、それはその人に徳がない、つまり悪い人ということになるのだ。

 

一方、世界に目を広げてみると、そのほとんどが「徳治主義」と相対する「法治主義」であり、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など国によって文化は違えども、「法律が国を治める」という考えで、唯一神を信仰する宗教観が倫理の基礎となっている。

 

絶対的存在である「神」への信仰

祈り

 

たとえ他人に嘘がバレなくても「神は見ている」という考えから、ルールに従って生きることが「正しいこと」と考えられ、道徳的判断基準が「法律」という客観的事実に基づいている。

しかし、儒教には「神」が存在しない。

それゆえ、「悪いことをしたら神様が見ていて罰を下される」という感覚も当然なく、罰が下るという感覚がない以上、「罪悪感」もないのだ。

 

嘘をついてもケンチャナヨ!韓国人の「徳治主義」という摩訶不思議な理屈

「騙す人」と「騙される人」どちらが悪いのか?

我われの常識で考えれば「騙す人」が悪いと、誰もが口をそろえて答えるだろう。

しかし、韓国ではこの常識が通用しないのだ。

例えばAさんがBさんに騙されてお金を取られたとする。

詐欺

 

日本人ならば誰もがAさんには何の非もなくBさんの犯罪と判断するが、韓国人の「徳治主義」の下ではAさんが悪いということになる。

にわかには信じがたいことだが、「徳治主義」に照らすと、お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのは、Aさんに「徳がない」せいだ、と考えられるのだ。

逆にBさんの立場で考えると、「騙したこと」=「悪いこと」ではなく、警察などに捕まって初めてその行為は「悪い結果」=「悪いこと」と認識される。

つまり、もし警察などに捕まることなくうまく逃げ切ることが出来たら、「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけが事実となり、「良い結果」を手に入れることができたBさんは「徳のある正しい人」という、摩訶不思議な理屈が成り立ってしまうのだ。

 

「嘘も方便」

我われ日本人は、相手の気持ちを思いやり、あえて本当のことを言わずに嘘をつくことをこのように表わす。

しかし、これはあくまでも相手の気持ちを思うが故の苦渋の選択であり、嘘をつくこと自体は良くないと分かっているため、後ろめたさを感じながらもそのことに目をつぶるのだ。

一方、韓国人にとって嘘は「良い結果」を得る手段であり、それを得るためにつく嘘はすべて正当化されるのだ。

逆に、どんなに誠実に努力しても「良い結果」が出なければ「徳がない=悪」とされてしまい、一旦「悪」と認識されてしまったら、その先にあるものは絶望的な身の破滅のみ。

唯一、彼らに残された生き残る道は、隠蔽、改ざん、捏造・・・

こうして正直でいることにメリットが見出だせなくなった韓国人たちは、「息を吐くように嘘をつく」ようになっていったのだ。

 

「騙すより騙される方が良い」

日本人ならそう考えるだろう。

しかし、韓国にはそもそもそんな価値観が存在しないのだ。

 

「徳治主義」は葵の御紋!?「徳」が「法」を凌駕する韓国の謎

韓国は14世紀に李氏朝鮮が儒教を国の根本として定めて以降、「徳治主義」に基づく儒教の国である。

「徳治主義」とは道徳により民を治める政治をめざす考え方であり、「徳」がある人が国を治めれば国は栄えると考えられている。

そして「徳治主義」では「法」よりも「徳」が優先される。

そのことを表すエピソードとして孔子の「論語」に以下の一説がある。

 

葉公、孔子に語りて曰わく、

吾が党に直躬なる者あり。

其の父、羊を攘(ぬす)みて。

子これを証す。

羊

孔子曰わく、

吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。

父は子の為めに隠し、

子は父の為に隠す。

直きこと其の内に在り。

 

【現代語訳】

葉県の長官が孔子に言いました、

「私の村には直躬というとても正直な者がいます。

彼の父親が羊を盗んだとき、自らの父親を訴えたのです。」

 

孔子はこれを聞いて、

「私の村の正直というのはそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠します。本当の正直とはその心の中にあるものです。」

とおっしゃいました。

 

つまり、儒教の始祖である孔子自ら、法律や社会ルールよりも「親を助ける」「親を敬う」ことが「孝」であり、素晴らしい人間の「倫理」だと言っているのだ。

 

そして、この考え方が現在でも韓国における倫理の規範となっている。

「法」よりも「徳」が優先されるために、韓国人は法律や社会ルールを守るという規範意識が極めて低いのだ。

前回の記事で書いた、韓国歴代大統領に金銭がらみの汚職問題が多い背景にもこういった倫理観がある。

儒教の倫理観では、身内に利益を与える行為は「徳のある行為」とされており、「徳治主義」の下では「正しい行為」なのだ。

韓国大統領のモラルが低いから身内に利益供与をするのではない。

むしろ彼らにとっては至極当然の行為なのだ。

 

「徳」が「法」を凌駕する韓国の不思議~産経新聞前ソウル支局長起訴事件~

韓国において「徳」が「法」を凌駕する最も典型的な事例、それは「反日」である。

「反日」という道徳を振りかざしていれば、それを取り締まる法律は有名無実と化し、いかなる行動も「是」とされるのだ。

記憶に新しい事件としては、産経新聞前ソウル支局長が朴槿恵大統領の名誉を毀損する記事を掲載したとして起訴、出国禁止処分にされた問題がある。

 

 

これは理不尽な言論弾圧に他ならず、断じて許されることではない。

自らに都合の悪い報道を公権力によって封殺しておきながら、民主主義を謳うとは笑止千万。

現在の韓国は、まさに「独裁国家」そのものである。

そもそも、問題となっている産経新聞の記事というのも、元といえば2014年4月16日、死者・行方不明者304人を出す大惨事となったセウォル号沈没事故が発生した際、朴大統領が7時間にわたって音信不通となり、その間に男と密会していたのではないかという「疑惑」について、朝鮮日報が報じたものを引用したに過ぎない。

百歩譲って、記事が朴大統領の名誉を毀損したとするならば、まず訴えられるべきは最初にこの件を報じた朝鮮日報のはずである。

しかし、韓国司法当局は日本のマスコミが韓国大統領のスキャンダルを報じたという「不道徳」のみを問題視し、朝鮮日報の報道については不問に付すという驚くべきダブルスタンダードを取ってみせたのだ。

憲法で言論の自由を保障する民主主義国家とは思えない異常事態である。

このような不公平が公然とまかり通ってしまうのはなぜか?

 

それは、韓国が「徳治主義」だから。

 

すべての根底に「反日」という道徳がある韓国では、「反日」の旗印のもとでは「道徳」が「法律」を超えるのは当たり前であり、むしろ「正しい」ことなのだ。

 

「徳」が「法」を凌駕する韓国の不思議~リッパート駐韓米大使襲撃事件~

韓国の「徳治主義」の弊害は、さらなる重大事件を引き起こした。   2015年3月5日、アメリカのマーク・リッパート駐韓大使がソウルで刃物を持った暴漢に襲われ、80針を縫う大怪我を負うという衝撃的な事件が起きたのだ。

 


一国を代表する大使の襲撃事件は、もちろんそれ自体が外交問題に発展しかねない重大な問題であることに違いないが、今回の問題の核心はそこではない。

何よりも全世界を驚かせたのが、襲撃犯の素性であった。

なんと、リッパート大使を襲撃したキム・ギジョンは反日・反米集会の常連で前科6犯という、警察当局ではいわくつきの「要注意人物」だったのである。

そこで当然のごとく、一つの疑問が浮かび上がる。

 

「一体、なぜ、そのような前科者の危険人物が大使に近づけたのか?」

 

実は、この事件の背景にも韓国の「徳治主義」が深く根ざしているのだ。

そもそも今回の事件を引き起こしたキム・ギジョンは、過去にも外国要人を襲撃している。

2010年7月に当時日本の駐韓国大使であった重家俊範氏に直径10センチ大の石を投げつけるなどして、同席していた在大韓民国日本国大使館一等書記官の女性を負傷させたのだ。

この犯行に及んだ時、キム・ギジョンはすでに前科2犯。

それにもかかわらず、韓国の裁判所が下した判決はなぜか執行猶予付きの有罪判決。

前歴があり再犯の可能性も高いというのに実刑がつかないなど、通常の「法治国家」ではおよそ考えられないことである。

しかし、韓国では「徳」が「法」より優先されるため、このような異常な判例がまかり通ってしまうのだ。

 

では、ここでいう「徳」とは何なのか?

 

それは韓国にとって国是ともいうべき「反日」である。

日本人を襲ったことで、前科2犯の犯罪者は「英雄」へと祭り上げられたのだ。

その「英雄」に実刑を下す勇気のある裁判官などいるはずもない。

なぜならば、正当な法治国家のルールに従い、法律に基づいて実刑判決を下したら、その裁判官は「親日派」と認定され、今度は裁判官自身が襲撃の対象となるからだ。

こうして「反日」という「道徳」が「法律」を上回った結果、判決は民意に翻弄され、司法は形骸化されてしまったのだ。

もしこの時に毅然と実刑判決を下せる裁判官がいたならば、キム・ギジョンは今も刑務所にいて、リッパート駐韓大使の襲撃事件は起こり得なかったはずである。

その意味においても韓国における「徳治主義」の弊害はあまりに大きい。

 

韓国人がこだわる「徳治主義」と「性善説」/だから韓国は「被害者」になりたがる!

なぜ韓国人は被害者になりたがるのか?

それを理解する上でヒントとなるのが、「徳治主義」とは切っても切れない「性善説」という考え方にある。

「性善説」とは、孔子の死後にその思想を継いだ孟子が唱えたもので、

 

孟子-2

 

『人の本性は善なり』とする説で、人は生まれながらにして「四端」(四つの徳の根本)を持っており、その「四端」を養うことで「四徳」を実現できるという教え。

 

四端&四徳(サイズ修正済み)

 

孟子はこれら、「仁」・「義」・「礼」・「智」という「四徳」を重んじ、「四端」を修養すれば誰でも「四徳」を身につけた有徳な人格者(聖人)になれると説いたのである。

 

誰もが「聖人」になれるポテンシャルを持っている。

それなのに、世の中の人のほとんどが「凡人」なのはなぜか?

それは「不道徳」だから。

聖人になれず、「善」が発揮できないのは、その人に「問題=不道徳=悪」があるから。

自分と他人との能力の差は「徳の差」なのだ。

道徳が国を治める「徳治主義の国」韓国では、能力は道徳と直結する。

能力がある人には道徳があり、自ずと高い地位に就くことができるのだ。

上に立つことができるということは、不道徳を払拭し、内なる善を発揮できたということで、「正しい、徳のある人」の証明になる。

それゆえ、韓国人は「善=正しい」ということに執着する。

誰もが「正しく」「立派な」「徳のある」人物であろうとするのだ。

 

では、「正しい」とは何なのか?

 

韓国人にとって、「正しい=徳がある」ことの証明方法は以下の3通りある。

 

☑地位が高いこと

☑結果を出すこと

☑他人を否定することで正しさを証明

 

1つ目の「地位が高いから正しい」は、正しいから地位が高い、だから地位が高い人は正しいというロジックである。

2つ目の「結果を出すこと」は、徳治主義では正しい人が上に立つと良い結果が出ると考えられていることから、良い結果を出せたということは正しい人であることの証明になる。

そして、一番厄介な証明方法が3つ目である。

「自分の正しさを証明するために他人を否定する」

他人が間違っているから、自分が正しいという訳ではなく、その人より正しければ、自分の方がその人より「上の人間」と証明できると考えるのだ。

だから他人を見下し、問題点を挙げ、全力で否定する。

自分自身に同様の問題点があるかないかは問題ではないのだ。

しかもこの証明は必ずしも事実に基づく必要がない。

これではもはや単なる「悪口」「言いがかり」のレベルである。

普通に考えれば、悪口を言うことは明らかに「不徳」だろう。

しかし、自分の優位を証明することは、自分が正しいことの証明になり、自分に徳がある証明になる。だから韓国人にとって悪口を言うことは「不徳」ではないのだ。

我われ日本人には到底理解できない無茶苦茶なロジックだが、これが韓国人にとっての「正しい」ことの証明方法なのである。

 

だが、ここに一つの問題点がある。

韓国人にとっての「正しい」ということが客観的な価値観ではないということだ。

時の権力者によって事実がねじ曲げられたり、時代や状況によってその価値観が大きく変わることもあり、韓国人の考える「正しい」は非常に曖昧なのだ。

 

では、どうしたら「絶対的な善(=正しい)」になれるのか?

そのためには「絶対的な悪」を作り出すしかない。

スカル

 

「絶対的な悪」である残虐非道な加害者がいれば、その被害者には一切何の非もなく「絶対的な善」になれるのだ。

そして、この関係を日韓関係に置き換え、日本を「加害者」、韓国を「被害者」としたところに、現在の韓国における「反日」の遠因がある。

戦後の韓国政府による反日教育により、「絶対的な悪」である日本に対しては何をしても許されるという空気が出来上がり、広く国民の中に反日感情が醸成されていったのだ。

実際には、「残虐非道」とは言いがかりも甚だしく、そもそも日本は韓国と戦争すらしていない上に、韓国併合も国際法に則った「合法」であったにも関わらず、韓国では日本は朝鮮の独立を阻んだ「悪」とされているのだ。

なぜそこまでして日本を「悪」にする必要があるのか?

それは、日本が「絶対的な悪」である限り、韓国は「絶対的な善」でいられるからだ。

韓国人が求めてやまない「絶対的に正しい」存在に。

 

だから韓国は被害者になりたがる。

 

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